月別アーカイブ: 2015年12月

空き家になっている実家を片付ける

年の瀬になり、いろいろと慌ただしくなってきています。何事にも締め切りというものはあるわけで、今の私にとっては実家の後片付けを来年1月10日までに終えなければならないという締め切りがあります。そこで時間を見つけては生まれ育った実家の掃除に行っています。先日の日曜日も半日かかって、とりあえず一階の掃除を終えました。台所の棚から手動カツオ節削り器が出てきました。私が小学生のころ、母からよくカツオ節を削ってと頼まれるとこれを使っていたなと懐かしく感じました。回転式の削り器なので見たことのない方も多いと思います(下の写真)。これはたぶん鹿児島限定の製品だと私は思っています。もちろん処分することにしました。他にも使えそうなものがいっぱい出てきますが、思い出とともに捨てるという勇気を出しながらの作業を続けました。
実家に入る前に、前向いに住んでいる近所のおばちゃんと久しぶりに長く立ち話をしました。79才のおばちゃんでしたが、まだまだ元気で今でもバイクを乗り回している人。両親が生前に話していた知らないことをいっぱい教えてもらいました。私は、築50年以上になる実家を壊すことを伝えました。

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明輝会望年会

土曜日外来診察を夕方6時まで、それから入院患者さんの診察など済ませたのが6時半。急いで帰宅して城山観光ホテルに到着。7時35分に明輝会望年会が始まりました。理事長挨拶を今週になってから取り組んでいましたが、原稿を書き上げたのは、外来診療が済んでから。練習をすることもできず、原稿片手に読みました。内容は次のようにものです。出席できなかった職員にもわかってほしいので是非目を通してください。
(原稿)みなさん、こんばんは。今年の忘年会の参加人数は359人と聞いております。昨年よりも40人ほど多い参加で、びっくりしております。
それでは理事長挨拶を始めます。まずは、ご来賓の方々、年末のお忙しい時期に、明輝会グループの忘年会に出席していただき誠にありがとうございます。昨年はサンロイヤルホテルでの忘年会でしたが、このように職員も増え、ここ城山観光ホテルで行うことになりました。明輝会グループの忘年会は、上品で楽しいものと言われておりますので、最後までお楽しみください。
まず、今年の明輝会を振り返ってみますと、4月1日にビビッドビリッジがオープンしたことが挙げられます。ビビッドビリッジって、ちょっと言いにくいと言葉です。命名したわたくし自身が、言いにくいと認めています。しかし、英語を正しく発音すると簡単です。下くちびるを軽く噛んでVivid Villageと発音します。Vivid Villageを日本語に訳すと、生き生きとした村、つまり、元気村です。現在、ビビッドビリッジには、吉野東ホームクリニック、デイケアスマイル、有料老人ホーム仁田原ノ杜があります。将来はもっとビビッドなものを増やしていく予定です。いずれにしましても、ビビッドビリッジが順調なスタートを切れてホッとしています。
さて、先ほどからスライドを使っていますが、今年の忘年会はちょっと趣向を変えました。理由の1つは数字やグラフをみてほしいからです。
先ほどきょうの出席者は359人と申し上げましたが、今も夜勤をしている職員もいますので、実際の明輝会グループの職員数はパートや派遣社員を含めて、404人です。とても404人の顔と名前は覚えきれませんので、インターネットを使って、いつでもどこでも確認ができるような仕掛けをつくっております。職員の女性と男性の割合をみてみると、女性が312人、男性が92人で圧倒的に女性が多いです。では、職員の平均年令はいくつだと思いますか。それは全体で41.7才、女性が42.4才、男性が39.8才です。男性の方が少しだけ若いのです。これは意外でした。職員の人数を10代、20代、30代とグラフにするとこんな感じです。男女とも30代、40代が多いことがわかります。
次は、ちょっと視点を変えて、毎年の入職者数と退職者数を見てみましょう。平成23年から平成27年までの5年間のデータです。今年のデータは11月までの分です。退職者よりも入職者が多いので、明輝会グループは組織として拡大していることがわかります。入職者と退職者が同じ動きをしています。昨年度は一番出入りの少ない年でした。それから、率直にちょっと退職者が多いなあというのが私の感想です。スライドを消してください。
明輝会は医療と介護の両面で地域に貢献していると思います。これからの高齢化社会、多死社会に向かって、ますます明輝会の社会的貢献は必要とされます。明輝会が発展維持するためには、さらにマンパワーが必要です。そのためにはあと少し退職者が減ってくれればと思います。現に政府も一億総活躍社会と介護離職ゼロを謳っています。明輝会としては、結婚して子供ができても、気兼ねなく働ける職場作りをしたいと思います。育児休暇後に職場復帰しやすい環境を整えたいと思っています。忘年会にいつまでもこんな話ばかりしてはいけませんので、もうやめますが、みなさん、一年間どうもご苦労様でした。今夜は最後まで楽しく過ごしてください。ご静聴ありがとうございました。

ことしの忘年会は望年会と表記しました。このことについては、提案された小牧常務が乾杯の挨拶で説明されました。明るい来年を望む会という意味がありそうです。小牧常務は坂本九が唄った「明日があるさ」をダンディーな格好で歌いましたが、歌い方は吉本興業のタレントたちが唄った「明日があるさ」風でした。とても盛り上がった余興でした。各部署からの出し物も素晴らしかった。

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常勤医決定

在宅療養支援診療所の院長として常勤医を探していましたが、やっと見つかりました。来年4月から常勤医3人体制になります。この3人体制というのが医療制度上とても大事です。まだ公言できませんが、それ以外にも年度替わりにいろんなことが起こることがわかっています。準備にとっても忙しくなりそうです。昨夜は嬉しすぎて飲み過ぎてしまいました。

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1週間の出来事

1週間書かなかったのは時間がなかったから。時系列で思い出してみようと思う。先週の土曜日は名古屋から飛行機で帰ってきた。中部国際空港発の飛行機はプロペラ機で、隣の席に屋久島出身のおばさんが座っていた。姉の入院見舞いに鹿児島市内に行くと言っていた。月曜日、昼から病棟回診を済ませて学校医としてある小学校の保健室に行った。持久走前の健康相談をおこなった。帰ってきてから鹿児島大学医学部に急いで移動。医局の後輩が血液内科の教授になったので、就任挨拶のアポを思い出したからだ。火曜日午後、会計事務所の人たちと打ち合わせがあった。その夜の勉強会に出席予定だったが、疲れがたまっていたのでさぼった。水曜日夜、鹿児島市在宅医会設立総会に参加。運営委員に指名された。その懇親会に出たが、お酒は飲まずに帰ってきた。木曜日夜、医師会の支部会の忘年会に参加。前の日の分まで飲んだ。土曜日の夜は第二内科同門会忘年会。気持よく飲んでいたが、当直医が居ないと突然事務長から電話連絡が入り、タクシーで急遽帰宅した。酔い覚ましに水をガブガブ飲んだが、覚めるはずもない。携帯電話を枕元に置き、いつの間にか寝てしまった。幸い起こされなかった。
きょう日曜日はゆっくりと過ごした。午前中、庭に出た。山口さんが植えてくれた野菜が大きく育っていた。左から水菜、菜っ葉、小松菜、春菊、青梗菜、奥がブロッコリー。

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アジアの中の日本人として

一人旅の学会ツアーを終えて鹿児島に帰ってきました。日本は狭いと改めて感じました。それは移動に時間がかからないし、簡単に移動できるからでしょう。もちろん国土が狭い。しかし、地理的には小さな国であるけれども、素晴らしい文化、素晴らしい国民である。だから、私たちはもっと他国に向けて自国の文化や良き点を発信しなければならないのだとアジア人だらけのホテルに泊まって思いました。

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西部肝臓学会

溝辺空港を出発前、中部国際空港は強風のため着陸できないことがございます。その場合は伊丹国際空港に着陸することをお許し下さいとアナウンスが流れた。結果は、強風の中を何とか着陸しました。洋上空港はこれがありますから。名古屋国際会議場でしっかりと教育講演を聴きました。自分も知らなかった最新の情報を得て、有意義なものでした。IMG_3709