今月の予定
7日 よしの村納涼祭
19日、吉野地区ケアマネジャーを対象に在宅医療について講演
27日、吉野地区脳卒中地域連携勉強会



31日(月曜日)
 きのうの衆院選は大方の予想どおりの結果に終わりました。アメリカにオバマ政権ができたことが少しずつ世界の隅々に変革の力を及ぼしているのだと思います。アメリカは日本に原爆を落としたことを認め、核弾頭を削減する大きな政策変更し、また、脱石油社会をめざすグリーン・ニューディール政策を推進しています。これらはこれまでのアメリカ政権では考えられなかったことです。オバマ政権が発した変革の力は私たちの医療と介護の分野にもやがて及んでくるでしょう。それがいつどのような形で及んでくるかわかりませんが、先ずはこれまでどおりやってきたことをやるしかないと思っています。


28日(金曜日)
 院長室のパソコンはなぜか何事もなかったように回復しました。たぶん新しいOS Snow Leopardが発売されたのでつむじを曲げたのでしょう。これはインテルマックにしかインストールできないのでパワーPC最後の院長室パソコンは対象外です。しかし、院内のある他のマックはほとんどインテルマックですから早速ファミリーパックの Snow Leopardを購入しました。
 在宅医学会の専門医をとるためのレポートをWindows版FileMaker Proで書かないといけないためMacBook AirにWindows XP Home editionをインストールすることにしました。がしかし、これが簡単にいきません。AirはもともとDVDやCDを直接あつかわず周囲にあるMacかPCにアクセスしてDVDディスクを使用します。つまりインストールは周りのパソコンにインストールDVDを入れて無線LAN環境で実行します。ですが、WindowsOSは直接DVDディスクからインストールする必要で無線でインストールする最新のAirの方法には対応していません。


27日(木曜日)
 ここに来て院長室のパソコンのディスプレイが映らなくなりました。原因はディスプレイが壊れたか、グラフィックカードがおかしくなったか、どちらかと考えています。院長室にパソコンがないと調べものをしたり、書類作成に不便です。早く原因をはっきりさせないとと思いますが、忙しくてなかなかパソコンの修理に費やす時間がありません。
 夜は吉野地区脳卒中地域連携勉強会があり、参加しました。鹿児島市立病院の先生を講師に開業医5人参加してのスモールミーチング形式でふだん訊けない基本的な質問もさせていただきました。


26日(水曜日)
 早速両親と鹿児島市役所後期高齢者医療課に足を運び、医療費負担軽減の手続きを済ませました。父親が要領悪く説明するのを聞いていましたが、なんとか3割から1割負担になった新しい保険証をもらうことができました。手続きに30分程度かかりましたが、端から見ていると、係の方の対応は親切でよかったと感じました。それでも隣に座っているおじいさんは若い女性の係の方にたまに怒鳴り声をあげていました。なにか気に入らないことでもあるのでしょうが、。そんなに末端の職員に当たらなくてもよいのにと思ってみていました
 ところで鹿児島市役所は衆院選の期日前投票を済まそうという人たちで大変混雑していました。広い臨時駐車場が2カ所もあって係のおじさんもかねての2,3倍多かよと言っていました。


25日(火曜日)
 今月母親が病院に入院しましたが、その医療費をみて予想以上の高額にびっくりしました。からくりがわかり、行政に対して怒りを感じています。後期高齢者医療保険症をみると8月から3割負担になっています。まず、これが一番の原因です。今まで1割負担であったものが3割負担になったからです。しかし、この3割負担はいつわりであり、真実は1割負担でした。
 市町村民税の課税所得が145万円以上であれば3割負担の保険証が交付されてきます。もしここで何も申請しなければ医療費負担が3割のままです。70才以上の一人世帯ならば年収383万円未満であれば1割負担にもどります。70才以上の2人世帯の場合、年収520万円未満で2人とも70才以上であれば1割負担にもどります。
 ここでたいせつなことは申請しなければ3割負担のままだということです。1割負担でいいのに3割負担することはたいへんな損です。たとえば在宅医療を受ける標準的な額は月に5,860円ですが、3割だと17,580円ですから11,720円も払わなくてもいいお金を払うことになります。何度も書きますが、自己申請しないと1割にならないことが行政サービスの低下だと思うのです。


24日(月曜日)
 とても疲れたのできょうのつぶやきは割愛します。あしたはきちんと書けたらいいなと思います。


21日(金曜日)
 私が内村内科の院長になってすぐに外来と在宅の看護師として働き始めたTさんの送別会に出席しました。各部署主催の飲み会には原則参加しないようにしていますが、今回の送別会だけはこちらから参加をお願いし参加しました。先ほど書いたように長年公私にわたり付き合いがあったからです。プライベートはよく山登りに行ったことです。登山記録のTさんのスナップ写真でもわかるように山ではわたしよりもずっと若く体力では私の方が負けていました。定年退職後は親の介護に入られるそうです。 参加者各人もいろんな想い出があったようでみんな一人一人が立って思いを話し終始たのしい送別会でした。
 iPhoneで撮った写真ですが、ピントが背後のDさんに合ってしまいました。ストロボもないので暗くてよく撮れておらずすみませんでした。 でもいつもの笑顔が見てとれます。


20日(木曜日)
 外来に通院している女性高齢者。当院のほかに整形外科にも通院していましたが、整形外科の先生にこれが最後の処方だと言われて次からは当院から薬を出してほしいと懇願されました。ヘンな話だと思いながらよくよく訊いてみると、整形外科でマッサージや電気治療やホットパックやら数種類して頻繁に通っていたらしい。歓迎されざる患者だったのかなと直感し、心配しないように話し、マッサージなどは通所系サービスで受けたり、整骨院に通ってもいいのではとアドバイスしました。外来で理学療法、物理療法をするにはいろんな制限があって無期限には続けられないようです。


19日(水曜日)
 吉野地区地域ケア会議第二回『よしの会』に出席し、20分間、内村川上内科の在宅医療というタイトルでしゃべりました。在宅医療のメリットや内村川上内科の紹介など気ままに楽しくしゃべらせていただきましたが、まじめに聴いておられるケアマネージャーの方々にはちょっと不真面目なプレゼンだったかもしれません。しかし、この会の一番の目的は地域で在宅医療を実践している医師の生の姿をみせ、親近感を抱いてほしいと思ったからです。私の発表にひきつづいて当院の医事課課長であり医療秘書であるU課長が発表しましたが、実務的な内容で非常に有用な情報だったと思います。2,3日のうちにトップサイトにアップされると思いますが、知識の整理にもういちど見直したくなるいい内容でした。ふたりともキーノートを使ったダイナミックなプレゼンでした。たぶん内容もプレゼンのリズムにも興味を持っていただいたと自賛します。


18日(火曜日)
 昨日今日は外来が混んで自分の時間を確保できませんでした。したがって明日の講演の準備が終わっていません。これから0からスタートは無理と判断し、これまで作ったスライドを継ぎ足し改変しまとめることにします。一晩で何とか済まそうとこれから取りかかります。


17日(月曜日)
 お盆休みで十分に充電し仕事を始めたわけですが、ちょっとエンジンのかかり具合が悪くてやっと一日を終えることができました。午後からグループホームに訪問診療に行きましたが、そこで一番かわいい106才のTさんと一番若いスタッフはもう何年も前からとても仲がいいのです。きょうも診察が終わるとお互いに抱きかかえるようにして歩いてホールに移動していました。Tさんピースして写真撮るからと頼みましたが、なかなかピースできませんでした。でもTさんは診察中何回も最高の笑顔をみせてくれました。


12日(水曜日)
 2時間ほど母の病室でふたり過ごすことになりましたが、話題がいつまで2人(父と母)が今の住まいに住むのかということになりました。年老いて体が不自由でもやはり可能な限り今のところに住みたいようです。高専賃というのもあるよと教えましたが今いちのってきません。理由を訊いてみると、今でも近所に旧来の知人(住民)がいるからというものでした。ある日突然今の生活を打ち切られるよりも前もって元気なうちに新生活に移行したほうがずいぶんメリットがあるように傍目からみるとそう思います。結局、どちらかが歩けなくなって車椅子を使用せざるを得なくなったら今の生活を見切るそうです。
 年老いた親の生活を監視し支援する時期になってきました。思った以上に自分の親の老後を支えることはむずかしい。


11日(火曜日)
 報道番組を見ると、静岡で起こった地震や四国、関西から関東にかけての大雨、芸能界の覚せい剤汚染など話題に欠かないほどですが、私自身は平凡な生活です。しかし、今月になってやるべきことが急に増えてこのつぶやきを書く時間がもったいないほどです。その一つは内科学会に提出する50題の臨床問題を解答しなければなりません。また、在宅医学会に専門医になるための書類をまとめなければなりません。


10日(月曜日)
 お盆休み前の外来は混み合うだろうと予測しておりましたが、患者さんはいったいどこへ行ったのでしょう。10時半すぎには外来診療が一応途切れてしまいましたが、それからポツリポツリと患者さんが来院し、完全に外来診療が終わったのはいつものように12時半でした。午後の訪問診療も少なく、夕方6時すぎには帰ることができました。
 帰宅してすぐにN病院に急ぎました。というのも母に早期胃ガンがみつかって午後内視鏡的手技で粘膜切除したからです。ついこの間まで父の大腸ガンの看病に忙しかった母ですが、今度は自分の治療です。
 両親がともに消化器癌になったことで自分もよりいっそうまじめに毎年の消化器検査を受けないと思った次第で、妹にもちゃんと人間ドックを受けるように勧めました。
 振り返ってみると、私が医者になってから比較的に早い時期に両親の病気を見つけてきました。これはラッキーの一言で治療は先輩医師や友人医師がやってくれました。つまり病気をみつけて治療側に渡すというのを繰り返してきました。このスパンがとても速くなったというのが正直な印象です。これも両親が高齢になったためです。


7日(金曜日)
 グループホームよしの村の納涼祭は大成功だったと思います。グループホームスタッフや他の明輝会職員を除いた純粋な来訪者は322人だったと主催者責任者から正式に報告を受けました。よしの村のほとんどの入所者がステージの前に陣取って観覧してくださいました。院長あいさつでも発表したのですが、よしの村あやめの平均年齢84.4才、さくらが89.2才、すみれ86.8才でした。そして最高齢はすみれに住んでおられる106才。
 最後は子供たちの歓声の中、よしの村特別賞商品のニンテンドーDSが抽選により祭りの終わり頃来た子供に当たり、無事納涼祭は終わりました。


6日(木曜日)
 きのうのつぶやきが書かれていないのはつぶやき専用のパソコンを院長室に忘れて帰宅したからです。つぶやきを書かなくても以前より落ち着いています。いやむしろ書くネタに慢性的に困っている状況としてはいい息抜きになったようです。
 さて、きょうの出来事ですが、後期高齢者の外来患者さんから質問がありますとメモを見せられました。そこにはフォローと書かれていました。フォローってどういう意味ですかというのが質問でした。当院では後期高齢者の患者さんたちにはその日のカルテを印刷して渡していますが、それを自宅に持ち帰って、目を通してフォローという言葉が理解できないために質問されたのです。自分たちはフォローという言葉はごくありふれた平易な言葉として使っていますが、すべての一般の方々にもわかるようにするという趣旨においてはあまり使わないほうがいいのかもしれません。でもフォローとか、フォローアップというのは便利で大切な言葉なんです。


4日(火曜日)
 きょうの外来の検査の多いことには体力ばかりでなく頭の切り替えが付いて行かないようでした。間違いを起こしてはいけないので検査対象患者さんの名前、検査の目的をしっかり確認しながら一人一人検査をすませました。胃カメラが3人、エコーが3人、そのほかCTや胃瘻カテーテル交換などありました。検診や保険審査の方も多くてかなり大変。副院長が外来患者さんの診察を数人してくれて、午後からの訪問診療の患者さんも数人診てくれてサンキューでした。


3日(月曜日)
 私が第三者委員会を勤めている保育園から今月も毎月の便りが送られてきました。巻頭言はもちろん園長先生の文章が1ページを占めています。タイトルは「まじめで堅苦しくて」です。古くさくてかっこ悪いことを意味する「昭和顔」とか「昭和っぽい」という言葉に園長先生が反論されています。まじめであることがかっこ悪いと評される今の風潮を黙って許してはいけないととても戦闘的です。その気持ち、その意図するところ私もよくわかります。しかし、私は園長先生とは少し違ってシュプレッヒコールはしません。昭和生まれも平成に近づくにつれて骨抜きになるのでしょう。何回も書きますが、園長先生の考えには全面的に賛成しますが、ただ相手の考えを変えようとまではしないということです。昭和生まれがまじめで堅苦しいのならば、明治生まれの人たちはなんと表現すればいいのでしょう。今でこそかくしゃくとした明治生まれの人はほとんど見かけなくなりましたが、大正生まれの人たちはちょっとモダンな雰囲気がして、明治生まれは頑として一筋通っていてものすごくまじめで堅苦しい人たちだったと思います。


2日(日曜日)
 
年一回の鶴丸高校の合同同窓会に出席しました。すごく出席したかったわけではなかったけれど、妻は甲南高校合同同窓会の幹事学年でずいぶんはりきって出て行ったし、妹も幹事学年だといって東京から帰ってはりきっていました。出席すれば高校卒業以来会っていない友達と33年ぶりに再会でき楽しいものでした。何人もの後輩と久しぶりの挨拶をしましたが、毎週内村川上内科の週末の当直をしてくれるK先生もいて談笑していましたが、そこに妹がやってきて妻が外に来ていると伝えてくれました。K先生は今夜は当直ではないのだと思いながら焼酎を酌み交わしていました。妻に会うために会場の外に出ると、そこに青いハッピを着た妻がいて当直医がいなくて看護師さんが困っているわよ、今夜は当直だったのではないのと詰め寄られました。明日の午前中は当直だけど今夜は違うはずだけどと急に酔いがさめてきて看護師さんに電話することにしました。結局2次会がはじまってすぐに帰りました。家について酔い覚ましの水を飲んでいると病棟から携帯電話がかかってきて当直室に先生がおられましたと。トホホ(><)でした。だって2次会、3次会飲むぞとはりきっていましたから。