つぶやき12月 
 

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31日(月曜日)
 長かったような短かったような2007年が終わります。何といって3月1日に内村川上内科が移転開院したことが私にとって今年の最大で最高のイベントでありました。新しいクリニックになって診療環境がガラリと変わり、いそがしいものの楽しく仕事ができています。
 また、 今年はマルチスライスCTという新しい武器を手に入れて自分で読影していましたが、来年からは放射線科専門医による読影システムを本格的に稼働してCT件数を今の2,3倍に増やしたいと考えています。もう1つの強力な武器として5台の電子カルテが外来診療と在宅診療のために稼働させましたが、その恩恵を十分に認識できましたので、来年は病棟診療にも電子カルテを2台導入することを決めました。今後もいっそうペーパーレス化を進めていきたいと思います。ことしはハードが充実した年でしたが、来年はソフトを充実させたいと考えています。
 
  1年間つぶやきを読んでいただきありがとうございました。新しい年が読者のみなさんにとってすばらしい年になるように祈念して今年の最後のつぶやきを終わりたいと思います。


27日(木曜日)
 きょうの昼食に付いていたデザートのスイカはとても甘くておいしかった。スイカは夏の果物と思っていましたが、冬にスイカを食べられるなんてなんだか不思議な、得したような気分になりました。昼食をゆっくり味わいながら食べるゆとりがない日々が続いていますが、きょうはほんのひとときですが、スイカの味に立ち止まってしまいました。
 今年の仕事は今年のうちに済ますのだという目標は80%達成できています。入院患者さんたちの退院サマリーをすべて書き終えたし、主治医意見書もあと1件です。身体障害者申請書が2件、その他の書類が20〜30件。たぶんなんとか終わるでしょう。
 プライベートなことでは、年賀状をまったく書いていません。これこそなんとかしなければと思いますが、明日の夜も忘年会です。きっと飲んだくれて何もしないことでしょう。

 数日前から自宅の2台のマックは新OS、Leopardレパードにしました。いっそう洗練されたOS、おしゃれでとても使いやすいです。とても気持ちよく使っています。パソコンに向かうのがさらに楽しくなりました。今のところ困ったことはありません。


26日(水曜日)
 今朝は3時半に起きて1月の訪問診療予定表を作成しました。もちろん医療秘書が案として作成したものを私が最終点検するわけですが、1割弱訂正します。訂正のポイントは診察医に偏りがないかどうか、非常勤の先生に適当数割り当てられているかどうか、です。
 4時ぐらいから本格的に作業を始めて6時ごろにやっと終わりました。25日の夜にやるつもりの仕事でしたが、つい忘年会で呑み過ぎてしまって早起きしたわけです。私が頑張らないと、患者さん一人一人の1月の訪問診療予定日が書き込まれたカレンダーを印刷し、配布するという仕事が遅れてしまいます。通常印刷に2日、配布に3日ぐらい必要ですから26日までにはどうしても済ます必要があったのです。まるで締切日を前にして焦る作家みたいです。
 さすがに異常な早起きのせいで午後の訪問診療移動途中が眠たかったし、夜の県医師会館であった研修会はほとんど眠っていました。しかし、肝心のスライドのときは目が開きました。これだけは学生時代から変わりません。実にためになる内容だったので今夜睡眠学習で得た知識は、来年の朝礼でみんなに話していこうと思います。

 『Visionと戦略』という医療・福祉経営の月刊誌がありますが、2008年1月号の28〜29ページの見開き2ページにわたってコスモプラン株式会社代表取締役・一級建築士水野直樹氏が当法人の地域ケアへの取り組みを紹介してくださっています。文章のタイトルは『地域活性化と高齢者住宅の建築プラン、複合型地域ケアの実例』です。グループホームひばり、小規模多機能ホームひばり、適合高専賃住宅のことが詳しく書かれています。


25日(火曜日)
 午前中だけで外来数が50人を超えました。年末年始のかけこみ受診が理由だと思います。午後もその傾向が続き、6時過ぎまで外来診療をしました。
  夜は、肝臓グループの忘年会が予定されていたので行ったわけですが、いろんな情報を得ました。古巣の人たちと話をするのは楽しいことです。当院に当直に来てくれて入院患者さんをAEDで助けてくれた若い医師とも再会しました。私のブログを見てますよという先生も何人かいました。いつのもことですが、言われるととてもうれしいです。
 さて、クリスマスイヴのあった2連休中、いつものことながら多忙をきわめ、子どもたちへのプレゼントを買う時間がなく、例年のサンタさんからのプレゼントに手抜きをしたところ思わぬ展開になってしまいました。好きなものを何でも買えるようにと、デパートの商品券を靴下に入れておいたら、とても喜んでくれて、ここまではよかったのですが、サンタさんからのプレゼントとは思っていなかったようです。
 その商品券を持って、デパートに行き欲しい物を商品券で支払いをしたあとで商品券をまた返して欲しいと泣き出しそうになりました。最初から子どもとデパートに行けば、こんなことは起こらないわけですが、サンタさんからプレゼントをもらったという状況を作るために仕組んだことがややこしいことになった次第です。


22日(土曜日)
 新しいケアセンターの上棟式があり、4時すぎには数十人が集まりました。朝方には雨が降り、どうなるかと思いましたが、予想以上の人たちが集まってくれたと思います。
  このケアセンターは内村川上内科の近くにあり、これまで以上に緊密に迅速な連携ができるのではないかと期待しています。また何といっても託児所があることが何よりもここの特徴です。24時間子どもを預かる託児所なので夜勤労働してくださる看護師さんに是非内村川上内科で働いていただきたいと思っています。
  建物の上は大きな傾斜屋根が互い違いになっています。吉野台地全体が見渡わたすことができ、遠くに錦江湾も見えます。雨上がりで空気が澄んでいたためかとってもすがすがしい気持ちになりました。


20日(木曜日)
 内村川上内科では人事移動の話が少しずつでてきていますが、これは法人内人事の一部で、来春にかけてもう少しあります。人事移動のスタンスはもちろん法人の考える適材適所です。
 私見を述べると、同じポジションを維持したいというのが農耕民族の習性だと思うのですが、市場原理の世界では狩猟民族にならざるを得ません。ときにいきなり別の世界に飛び込む必要が生じます。
  昨日のニュースにパトカー勤務のエリート警察官が12月から街角の交番勤務に人事移動になってピストル自殺をしたというのがありましたが、こういう行動をとるのが最悪です。自分を高めるためにいろんな仕事環境を体験することがとても大切なはずで、私たち医師もひとつの病院でしか働いたことのない人はほとんどいません。いろんな病院で勉強し、いろんなポジションに就いて人間としての修業をします。
  日本社会は農耕民族的な構造でみんなと力を合わせ和を尊びますが、日本人にも狩猟民族的な行動を好む人がいます。最近の若い人に多くなってきているのは事実で決してこれが悪いとは私は思いません。むしろ狩猟民族的な人が農耕民族の世界を活性化してくれるのだろうと考えます。したがって農耕民族的発想の人と狩猟民族的発想の人がうまく調和することが理想だと思います。
 法人人事異動には少しばかり狩猟民族的発想に立って受け入れ、それからあとは農耕民族的発想でがんばってほしいと思います。


19日(水曜日)
 水曜日の午後はフリーなのでここばかりと書類を一気にたくさん書こうともうはりきっておりましたが、非常勤の先生が急きょ来られなくなり私が代わって訪問診療と外来診療をすることになりました。水曜日の午後の外来は少ないと思っていましたが、いつもと変わらないほどの数でした。
 昨日非常事態宣言をしたばかりなのに充てにしていた日にほとんど仕事ができず、次の土曜日の午後もケアセンターの上棟式があってこの日もできません。となると、自宅に資料を持ち帰ってやるしかないと再非常事態宣言をいたします。
 実はもっと困っていることは年賀状作成のめどが0に近いことです。今年は自宅マックがクラッシュしてこれまで年賀状のやり取りをしてきた人たちの住所がすべて消失しました。さらに市町村合併に対応した来年用年賀状作成ソフトを10月に申し込みましたが、発送が12月29日に延期になりましたと実に困ったメールが来ており、こちらの方はまったくやる気を失っています。
 そんなこんなで年末は公私にわたりとても忙しいです。ことし予定している忘年会はあと2回。意外にこれが楽しみなのかもしれません。


18日(火曜日)
 夜、鹿児島市医師会北区支部会があったわけですが、私は出欠を区長に伝えておらず、無届けのまま参加することになりました。自分では参加希望のファクシミリを送ったつもりでいましたが、連絡していなかったようです。しかし、すぐに区長のお許しを得てテーブルに着席することができました。どうも私最近ポカが多い気がします。
 私のテーブルには、吉野眼科クリニックの冨宿先生、神田医院の神田先生、緑ケ丘クリニックの坂上先生、三船病院の日高先生がすわっておられ、いろんな話題で楽しく会話ができました。冨宿先生は鹿児島市医師会の眼科当番医の自宅待機になっておられ、途中電話で呼び出され残念そうに帰って行かれました。
 さて、今年もあと残り僅かとなりましたが、やり残している書類が大量にあります。ぜひともこれだけは完全に書き上げて新年を迎えることができるように非常事態モードで取り組むことにしました。


17日(月曜日)
 今朝の朝礼で感情論が主流になったクレームを論理的に解決することはほぼ不可能なので偉い人が大きな決断をすることで一気に解決しなければダメだということを話しました。そもそもクレームというのは感情が原動なのだと思います。つまり被害者意識がクレームとして出てくると思うのです。
  朝礼では国のフィブリノーゲンによる薬害C型肝炎訴訟のことに触れましたが、今の状況をみると、総理大臣による英断でなるべく多くのC型肝炎患者さんに救済の網を早くかけてほしいと思うと同時に、当時の医療状況を現在の医療状況と同じ土俵にするのはおかしいということも話しました。また、フィブリノーゲンが悪者のような印象を受けますが、なぜフィブリノーゲンを投与されたのかという原点をもう少し考えてほしいと思います。フィブリノーゲンで助かった人もいるんですよと言いたくもなります。しかし、このようなことを言うことは許されない状況になっているから政治的な解決が必要だと思うのです。
 さて、朝礼でクレームの話をしたばかりなのに夕方、私がクレームを言われる立場になりました。このクレームは10月にも聞いたのですが(10月22日のつぶやきに当時の感想を書いています)、先日この家族の患者さんが病棟で亡くなられたのです。死因とクレームはまったく関連はないのですが、私の看護師への指導力不足、看護師と医師の連携の悪さを指摘されました。カルテにはほぼ毎日の診察記録、何回も危機を乗り越えたことを説明した記録も残っているのですが…。
  私の側には看護師が2人同席しましたが、家族に対して看護師の立場からもう少し意見を述べるべきだったと思います。これからはチーム医療の時代。チームを構成するそれぞれの職種の人が自分のおこなった仕事や同僚や部下のおこなった仕事を説明できるようにしていきたいと思います。


14日(金曜日)
 昨夜の当直医はほとんど寝ていないようです。夜9時ごろから朝までずっと1〜2時間ごとに病棟や在宅から呼び出されています。入院患者の急変、グループホームからの2回の深夜往診依頼になど過酷な状況に1つ1つ冷静に対応していただきました。当直医は女性医師でしたが、朝方の看護師からの労いのあいさつにさわやかに答えていただいたそうですが、ほんとうにごくろうさまでした。
 さて、外来診療が多いので当然外来パソコンに医療クラークがマウスとキーボードを使って電子カルテに入力業務をしているわけですが、その間私にもしばしの空白の時間ができることがあります。それが1分でもあれば、書類が1枚完成するのです。しかし、目の前のパソコンは使えないので、これほど書類の整理が進まないときはノートパソコンも机上に持ち込んでみようと思いつきました。書類を書きたくても昼休みもほとんどなくて診療が一段落つく午後7時から書類を書いているのが最近の状況です。
 折角医療秘書が早く書類の下書きをしてくれてもすぐに私が目を通さないので書類を完成させることができていないという現況を早く打破しないといけないと毎日積み上がった書類を見ながら思っています。


13日(木曜日)
 外来がだいぶ落ち着いてきたようで混雑もなくなりました。しかも朝寒いと患者さんの出足が悪く、一気に10名ぐらいの診察を済ませると10時前に空白の時間ができることがあります。こんなとき書類を書いたり、病棟の仕事をするようにしています。
 木曜日の午後3時から病棟回診していますが、このことを入院患者さんの家族もよく知っておられ、毎回ベッドサイドには家族が集まっています。ですから回診は患者さんをみんなといっしょにみて一週間の治療を決める場でありながら患者さんの家族と顔を会わせる場でもあります。
  短い時間ですが、家族と会話することがとても大切です。話せばわかるというのは本当だと常々思っていますが、この回診で会わなかった患者家族にはときに誤解をもたれてしまうことがあります。 めったにおられない人ですが、院長は1か月に一度も診察に来てくれなかったと非難されたこともありました。そんなことはあり得ないのでどうやらその方がいるときに診察に来なかったという意味なんだろうと思うことにしています。
 さて、自宅に帰ってから、とうとう手にしたWiiFitをしました。最初に体力テストがあるのですが、実際よりも10才若いとWiiFitに判定されていい気になって一晩遊んでしました。なかなか面白くて体力テスト以外に40種類のゲーム感覚のエクササイズができます。もうこれがとても面白い。


12日(水曜日)
 初めて、雑誌の取材を受けるという経験をしました。いろんな質問を受け、自分なりの意見を言いました。たとえば、在宅医療を始めるようになったきっかけとか、今後どのようなことに力点をおいて在宅医療を展開していきたいかとか、今、在宅医療に望むことは何ですか、などなど、ほかにもたくさん質問されました。私自身が1つ1つの質問にどのように答えたのかはっきり記憶しておりませんが、緊張した時間でした。1枚目の写真が院長室で質問を受け答えている一コマです。カメラマンの動きがとても気になりました。
 約30分後、訪問診療の現場をみていただくため同行しました。予め取材許可を得ていた患家2件とグループホームよしの村で撮影がおこなわれました。2枚目がグループホームよしの村で訪問看護ステーション看護師と話し合っている様子です。

 午後1時半から始まった取材は4時ごろには終わりました。どのような記事になるのかとても楽しみです。これからも明輝会は医療と介護の両輪で突き進んでいくべきだと思った1日でした。


11日(火曜日)
 明日は最新クリニック総合情報誌『CLINIC BAMBOO』の取材を受けます。『在宅療養支援診療所の挑戦』という特集記事に取り上げられました。取材許可をもらった家族・患者さんの訪問診療風景を見てもらうことになっています。また、内村川上内科の在宅医療に対する取り組みに対するビジョンを話すことになっていますが、まだ十分に準備が整わないまま明日の取材を迎えることになりそうです。
 きょうも午後の外来が多くて終わったのが午後6時半でした。それからやり残した訪問診療を2件。病棟の仕事まで終わったのが、午後7時半をまわっておりました。


10日(月曜日)
 久しぶりに救急車に乗って42才の男性患者さんを搬送し、たいへん疲労しました。というのも私自身が看護師といっしょに救急車に乗ることはほとんどありませんが、こときょうの患者さんに関してはもしものことが起こるかもしれないという不安を払拭できなかったからです。搬送理由は1分間の心拍数250回以上の頻脈発作でした。午後の訪問診療を時間通りに終え、15時50分ごろ帰院してからのドラマです。
  帰院していつものように私は第一診察室の椅子に座り、医療クラークと訪問診療の結果を電子カルテに入力しておりました。そのとき少しあわてている看護師が初診の患者さんが胸を苦しがっていて脈が速そうだから先に心電図をとっていていいですかと尋ねに来たので許可しました。その心電図を見て、ほかの数名の外来患者さんの診療をすることを止め、すぐにもうひとりの非常勤の先生に訪問診療を中断して帰ってきてもらうように頼みました。また、手の空いている看護師をなるべく集めるように指示しました。もしかしたら急に心室細動に移行するかもしれないと私自身も不安になり、AEDをすぐに持ってくるように看護師に伝え、次々に血管確保のため点滴指示、いくつかの抗不整脈薬の投与方法、酸素吸入などを口頭指示し、動きの悪い看護師には少し声を荒げてしまいました。この一連の行動を見ていた患者さんは却って不安を抱き、「そんなに悪いですか。心臓が止まるんですか。」と言い始めました。
 私は患者さんの不安を取り除く努力をしながら、しかし、患者さんは胸痛を訴えながらも、何回も意識もうろうになるので、心室細動になったのではないかと心電図モニターに目をやりました。一向に脈拍数が正常にならないので、もうここではやれないと判断し、すぐさま鹿児島医療センターへ電話連絡し、受け入れを許可していただきました。
  それから救急車が到着するまでの時間も長く感じられましたが、救急車内で過ごした時間も非常に長く感じられました。約10分間でしたが、私は患者さんとずっと話をして眠らないようにしました。救急車に乗って5分ぐらい経って2種類目の抗不整脈薬の効果が出てきて脈拍数がどんどん落ちてきました。250以上だったのが、100台になり、さらに90台、80台、70台になるのを見ていると、それがいいことなのか、もしかしたら心臓が弱って止まろうとしているのか心配しながら見ていました。同乗した看護師が脈が触れませんと何度も小声で報告し、実際目の前の患者さんは目を閉じようとするし、心電図モニターの基線がずれて一見してフラットになっていると、あわてて患者さんの体を揺り動かし生きていることを確認しました。この後半の5分間は私たちにとってもとてもストレスがかかりました。救急車を降り、「楽になりました。ありがとうございました。」とストレッチャーに横になっている患者さんから言われたときはホッとしました。
 鹿児島医療センターから内村川上内科までタクシーで帰ってきたのは5時半過ぎでした。何人かの外来患者さんに謝りながら診察し、重症の病棟患者さんの診察をすませて、再び外来に降りてきたら、救急車で搬送した患者さんが立っていました。私にお礼を言いたくて来てくれたのですが、あまりの早さに私はびっくりしました。精査のために入院したのではと思っていましたが、すぐに自宅に帰ることを許可されたようです。2時間前のできごとがウソのように感じられるほど、ふつうの顔色をしてしゃべっています。
  とにかくよかった。心室細動にならなくてよかった。この2時間、私はいつでも心臓マッサージを開始するつもりで患者さんの顔と心電図モニターを見ていました。



6日(木曜日)
 昨夜はビクターのハイビジョンビデオカメラ(Everio)の記録をマックに取り込むのに遅くまでかかり、すっかり睡眠不足になってしまいました。取り込みに失敗すると、約半年間の記録である30GB分のデータが消失してしまいます。そんな悲惨なことにならないように慎重に取り組んだわけです。
 これまでの記録は磁気テープ(8mmミニテープ)でしたが、今は、ハードディスクやDVDに直接記録するのが主流です。そのため画像が劣化することなく残りますが、間違うと一瞬にしてせっかく録ったものを消してしまうことも起こりえます。
 本日も外来が混雑して休みなしで働きましたが、週末にビデオカメラが必要でどうしてもこれまでのデータをパソコン取り込む必要があったからです。以上です。

 蛇足ですが、(ビクターエブリオEverioのデータをマックに取り込む方法について)
 FinalCut Proでも取りこめるそうですが、 FinalCut Pro(Version 4.5)を持っていても、使っていません。マックに標準装備のiMovieも最新版Version7でも取りこめるとネットに出ていますが、今回は使い慣れたiMovieHD 6でEverioのデータを取り込むことができました。取り込み時間は結構かかりました。


5日(水曜日)
 まだ30代の男性の看取りをおこないました。この患者さんの晩年は不治の病と闘う辛いものでしたが、最後の1か月を両親と自宅で過ごし、ある意味しあわせだったのではないかと思います。私たちはこの患者さんが総合病院を退院し在宅に帰ってきたときからほとんど毎日訪問診療しました。この若い患者さんは、だんだんと目が見なくなり、寝たきりになり、精神症状が出現し、仙骨部に褥瘡が形成され、激痛に苦しみ、最期は眠るように亡くなりました。
 私たち在宅チームは、患者さんの病気を治すことはできませんが、その体験を共有し、緩和することはできます。死に近づく不安と介護疲れに陥った家族に対しても微力ではありますが、心の支えになりえました。
 私独自のかたよった感想をこれから書こうと思いましたが、秋波のときのようにまた掲示板にご批判を書かれるとこのストレスの多い時期に凹んでしまって元に戻りがたいのでいつか機会があれば私見を書きたいと思います。


4日(火曜日)
 外来がとても忙しく、インフルエンザ予防接種の方が含まれているとはいうものの、総勢75名でした。そのほかに救急車搬入があって外来診療をしながら蘇生をおこないました。午後からは訪問診療が10件あり、自分の風邪もいっこうによくなりません。今夜は死ぬほど眠たいのでここで休みます。

3日(月曜日)
 土曜日の明輝会忘年会、総勢230名が城山観光ホテルロイヤルガーデンに集まりました。ここ数年でほんとうに明輝会が大きくなったと思います。
 私の所に いつも多くの人がビールを持ってあいさつに来てくれますが、廻って来てくれた人の顔をかならず覚えるようにしています。ですから集団で来られると、かなりインパクトがないと記憶に残りません。
  しかし、不思議なことに普段よく見ている顔でその顔がないと欠席かなと探してしまい、いつまでも来ないなという記憶が残ってしまいます。
 余興の写真はこちら→

 とうとう内村川上内科でもインフルエンザが発生しました。職場の同僚にうつされたケースでした。夕方になると、気温8℃に下がり、いよいよインフルエンザが流行してきそうです。もうひとつ、先週ごろから感染性胃腸炎が流行ってきています。私は風邪の患者さん、とりわけ胃腸症状の強い患者さんを診察したあとは毎回手洗いをしています。おかげできょうは手がカサカサ乾燥して荒れてしまいました。