30日(月曜日)
きょうが一年の折り返しです。あっと言う間に半年経ちました。振り返ってみて新しい医療制度に振り回された半年でした。現在もそれは続いています。この先どのようになるのか安心できるという心境ではありませんが、自分の診療スタイルを追求するというのが当面の目標と考えています。
さて、今週土曜日にアップルユーザグループの集まりで20分程度、電子カルテについて話す機会をいただきました。クリニックとWINE Styleの宣伝をしようと時間をみつけてスライドをつくっています。下の写真がトップスライド。クリニックの紹介スライドです。27台のマックが活躍していることを自慢させてもらいます。全部で10枚スライドを作る予定ですが、電子カルテWINE
Styleの使用シーンの一部を動画で見せようと編集に苦労しています。まず良く見えないスライドはダメなので文字を大きく動きをゆっくりと録るようにしようと考えています。
29日(日曜日)
朝から明日の朝まで私が当番です。午前中、入院患者さんが急に呼吸状態が悪くなり呼ばれましたが、人工呼吸器の条件を変えることでなんとか乗り越えられました。
もう1人在宅の患者さんに状態の悪い方がおられます。60台男性。なかなか考えさせられる最期の生き方です。外科医に余命数日と言われてから好きなタバコと焼酎、ビールまで毎日たしなんでいます。在宅で過ごしているからできる生き方です。痛みはモルヒネでとっています。この方、ほんとうはすべての医療を拒否され、もう来なくていいとまで言われましたが、点滴はしませんから診察だけはさせてくださいと毎日午後から私が診察に行って奥さんと話をして奥さんの精神的な支えをしているつもりです。点滴をすればあと1〜2か月は生きれると思うのですが。
家族の関わり方がとてもえらいです。患者さんの枕元にはお見舞いでもらった焼酎が3本デ〜ンと置いてあります。これを見たら大好き焼酎を飲ませていいよと思ってしまいます。
全身の肉がそげ落ち骨と皮ばかりにやせてしまった夫に奥さんはコップにハチミツ入り焼酎の水割りを飲ませています。患者さんの周りには孫さんがよちよち歩いています。いつも奥さんはにこにこ笑って医学的に悪い看護をしていることを詫びながら昨夜の様子を教えてくれます。こんな最期、病院やホスピスでは見られないものと思って私は毎日足を運んでいます。
28日(土曜日)
26日、1903年生まれの私の祖母が亡くなりました。
27日(金曜日)
来月5日にAUGM鹿児島(→)がありますが、すでにそのホームページに内村川上内科が電子カルテWINE
Styleのレポートをすると案内されています。 その打ち合わせにtokuさんが夜当院に来られました。準備がまだまだ道半ばというところですが、私とM君、U君と手分けしてキーノートを作っています。
今回のキーノートにはムービを多用するつもりです。マックの画面を記録するソフトがあるのでこれを使って電子カルテの入力の様子を供覧しようと思っています。
7月5日のミーティングではあのiPhone3Gが見られると思います。アップルジャパンの人も来てiPhone3Gの説明をしてくれると聞いています。楽しみな企画まであと1週間ですが、いま仕事もプライベートもとても忙しいです。
(追)会場の定員120名。現在参加登録されている方が約70名。まだまだ余裕があるので友だちをさそって参加してくださいと実行委員長tokuさんから頼まれました。この会には事前登録が必要です。登録は、AUGM鹿児島(→)のホームページか、アップルのホームページからできます。
26日(木曜日)
昨夜は南風病院外科の送別会に招待されていたのに多忙ですっかり忘れてしまいました。せっかく招待を受けていたのにたいへん失礼しました。この場で無礼を謝罪させてください。
南風病院外科の先生方とは以前より患者さんの交流が多く、互いにお世話になっています。内科と外科が良好な関係を保って仕事ができる病院はとても働きやすい環境です。内科で診断をして外科で手術をしてもらう。術後の合併症の治療にも内科が参加する。大きな病院ではよくみられる光景です。
それにしても南風病院外科の送別会に参加しなかったことはとても後悔しています。南風病院外科のH先生と話をしたかった。H先生はとても頼もしい人で在宅医療のことをよく知っています。経歴もユニーク、県外の在宅医療機関からも引っ張られている先生でそのふところの大きさに私はほれ込んでいます。
25日(水曜日)
酸素投与後にナルコーシスをおこした人が立て続けに入院患者さんから2人出ました。酸素投与は必要なことで、その結果ナルコーシスになることは理解できることです。いずれも朝一番に動脈血のガス分析をして対応しました。家族に病態を説明して補助人工呼吸器を使うわけですが、補助人工呼吸器を実際使い始めるまでの時間が非常に長く感じられます。
重症患者さんのことを気にしながら外来診療をすることは非常にストレスです。これは有床診療所ならではのことです。医師が複数いればストレスがだいぶ軽減されますが、そういかないのでとてもここ数日疲れています。しかも在宅にはターミナル(終末期)の患者さんが2人いらっしゃいます。
雨上がりの芝生にきのこが生えてきました。
24日(火曜日)
6時には仕事を打ち切ってN病院に入院している父を見舞いに行きました。ナースステーションに行くと知っている先生がいてすぐに部屋を教えていただきました。ナースステーションから3つ目の個室でしたが、ドアが閉まっていたので父は具合でも悪いのか寝ているのかと思いました。ドアには小窓があったので中を覗き込んで見ると、上を向いて足を組み1人単行本を読んでいる父の姿がありました。私が小さい頃よく見た姿です。父の主治医から詳しい検査結果を聞いておりませんが、おおよそ予想が立っているので父のムンテラ用紙を見ながら父と病気について話し合いました。手術をしたくないというのです。できるだけ手術をしない方向で最善の治療法を決めてくれんかと頼まれました。またここでも昔と変わらない父が見えました。私が小学生のころ、父は抜歯が怖くて歯科治療をやめてしまい母から笑われていたことを思い出しました。
下の写真は子供用ビールで乾杯する私の息子。わが息子は父の姿を見てビールに興味をもっています。
23日(月曜日)
久しぶりに忙しい一日でありました。先週は外来が少なかったのでとくにそう感じました。外来というところはいろんなドラマがあります。面白いネタがいっぱいあります。しかし、医師の守秘義務があるのでそのまま話題に取り上げるわけにいかないので、個人情報に十分に注意して表現しなければいけません。というわけでなかなか患者さんネタというのは書けないのです。
さて、父が大腸検査のためにN病院を母と受診しました。80歳を越えた老夫婦のために私も付き添ってあげたかったけれども自分の仕事があってかないませんでした。まるで芸人みたいです。そして夕方おそく父から電話がありました。大きな声ではっきりとそのまま入院するのだと言ったのでホッとしましたが、電話に出ない母親が少し気になりました。
22日(日曜日)
2年ぶりの坪内会に参加するために土曜日の7時すぎに自宅を出発し、夜8時には妙見温泉石原荘に着きました。すでに宴は始まっており、私の席だけが空けられていました。参加人数10名。宮崎からの参加がなくちょっと寂しかったけれどそれなりに楽しく過ごしました。
鹿児島市内は曇りでしたが、霧島に入ると
雨が降りだし、山間部になるにつれ、雨はますます強く土砂降りになり、石原荘の裏手を流れる天降川は大きくうねっておそろしいほどです。
露天風呂はもちろん閉鎖。入ったら流されてしまいます。そのまえにお湯が泥水に変わっています。私は11時前に酔っ払いながらも大浴場に入りました。
それから部屋にもどって12時すぎまでみんなと話して過ごしましたが、宿泊所はすべて地下1階ですから天降川の水が石原荘に入ってくるのではないかとみんな本気で心配しました。大の大人がしばらく川の水を眺めていました。
20日(金曜日)
やっと言うべきか、とうとうと言うべきか、明輝会のメールサーバーができ上がりました。SEのM君に頼んで約1年。まだかまだかと何十回も催促しましたが一応約束どおりに6月いっぱいの期限内に完成したわけです。まずはご苦労さん。
現在、数人でメーリングリストを組んで実験的にやっていますが、7月までに全法人職員にメールアドレスを割り当て、法人のメーリングリストにしたいと思っています。パソコンでも携帯電話でもどちらでもメーリングリストに参加できるので便利だと思います。しかも、メールソフトを使うのではなく、ブラウザでメールのやりとりができますから、インターネットカフェでもホテルのパソコンでもいつでもどこでもメールのチェックができます。
このホームページのトップにもご意見メールを設置しました。貴重なご意見をお待ちしています。
さて、夜7時から子どもたちが卒園した保育園の第三者委員会に出席してきました。保育園に関する意見・苦情を第三者として意見するメンバー3人の1人に選任されたからです。お世話になった保育園にご恩返しするため、人生経験深い園長先生ともうしばらくつながっていたいという思いのため、堂園理事長というすばらしい先生に近づきたいという願いのため、ご意見番という大役を受けたのです。
19日(木曜日)
昨夜は薬品メーカーの社内勉強会の講師に呼ばれ、専門外の話を1時間ばかりしてきました。一開業医の立場から日々の臨床の雰囲気をざっくばらんに紹介したつもりです。学問的な話はもちろんできないので現実の話を楽しくしゃべりました。社内研修だけあってみなさんはとても熱心に聞いていただき、始めと終わりは全員起立して礼をしたときは思わずキリリとしました。最後の質疑応答では3人ほど手が上がりズバッと突っ込んだ質問がありましたが、スルリとかわして終わることができました。→資料●大きさ7MB
17日(火曜日)
明日の『脂質異常症の話』の準備が大詰め。直前までかかりそうな感じです。大した話はできないのですが、内容はダメでも見栄えだけでもとキーノートを使ってスライドを作っています。終わったらここで公開してもいいかなと思っています。
明日の講演が済んだら次は電子カルテの講演準備に入ります。今夜は忙しいのでこれで終わります。
16日(月曜日)
まあよく雨の降ること。そのせいか、外来がずいぶん少ないなと感じました。午後になっても雨はよく降り訪問診療には傘を持って行きましたが、足元からずぶねれでした。田舎の庭は雨がたくさん降るとすぐに水がたまってぬかるんでいる所があります。そんな所には足を踏み込まないようにうまく歩かなくてはいけません。
昼休み、いつものように3社だけ製薬メーカーの方と会いました。その中の1社は発売20周年の製品があるとかで、それにあやかり私が20才になった日の朝日新聞全国版の表紙とテレビ番組表のコピーを持ってきました。昭和53年7月18日の新聞でした。よくもまあ誕生日を知っていることと驚きましたが、嫌な気にはなりませんでした。むしろ当時のニュースやテレビ番組に見入ってしまいました。
トップ記事はボン宣言。国際テロ事件を防止するため先進国7カ国の首長がヴェネチアに集結して出されたメッセージです。面白いことに当時の内閣総理大臣は今の福田総理の実父です。
そのとなりには薬価差益はけしからんという内容の記事です。古い薬がずらりと書かれています。当時は今と違ってマージンがとても大きいです。信じられません。不幸なことに今でも薬で病院は儲かっているから薬をたくさん出すのだというまったく根拠のないことを信じたり、主張する人がいるのは残念です。
少し話が脱線しました。この際もっと脱線しましょう。というわけで朝日新聞のコラム、天声人語を読んでみましょう。 宮崎県の西都原古墳群が話題になっています。この古墳には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の墓と言われる女狭穂塚があります。私は独身時代にここを両親と訪れたことがありますが、まさかそれからすぐに木花咲耶姫の字から取った『咲』の字を持った人と結婚するとはまったく思いもしませんでした。
またまた大きくずれましたが、テレビ番組表はとてもなつかしい。半分以上いやほとんどタレント、芸能人の名前が今では聞かないものです。盛者必衰の理、平家物語の冒頭の文章を思い出してしまいました。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。
13日(金曜日)
当院の入院ベッドが動きません。在宅患者さんが脳梗塞を発症しましたが、どうしても他所の病院には入院しないと泣いて訴えるので仕方なく在宅に戻して保存的な治療を始めることになりました。遅くとも来週水曜日には入院できるのですが、大丈夫かなと不安がありますが、本人と家族が決めたことなので私たちは最大限協力することになりました。
あさっての天気がとっても微妙。昼の天気予報では曇りときどき晴れでしたが、夜になると曇り後雨です。なんとかならないものかと思います。参加者が少ないようなのでこちらも少し心配ですが、父の日なので仕方ないかなと開き直っております。
12日(木曜日)
ろうけん青空には空床が多いと聞いているので本日の回診で一人でも転院できないものかと診て回りましたが、おいそれとはいかないものです。介護施設に余裕があるのは、今の鹿児島市内の全体的な傾向らしく理由がよくわかりません。
幸い当院は常に満床に近い状態であって、入院待ちが数名あります。一般病床の入院基本料は2週間を過ぎるとかなり低くなります。長期入院の患者さんは療養型病床に移して診るか、退院しないと収益は上がらない仕組みになっています。しかし、実際は患者さんの病状にしたがってベッド移動をしているわけで経営を主にすると手のかかる患者さんや長期の患者さんは強制退院させることになります。私の信条からはそんなことはできません。私の力量を越えたり、もっとよい治療がある場合には説明して他の病院での治療を受けるようにしてもらっています。
下の写真は硫黄島を示しています。8月に娘が硫黄島に泊まりに行くことになりましたが、私も行きたいものです。せめて明日はバーチャルで空中からアプローチしてみよう。
11日(水曜日)
患者さんやその家族も思うことをズバズバ言うものだなあとそんな風に思った次第です。今週も副院長は体調を崩していて訪問診療ができませんでした。
午後から
午前中の訪問診療がいいと言われている患者さん宅を伺うと、「ずっと待っていたのに遅いわね〜。」もう一人には「また先生ですか。」と言われてしまいました。「これでも一生懸命やっているんですよ。もう少し早く来るように努力しますから。」「すみません。副院長が回れないものですから代わりに私がまた来ました。」
来週、講演を頼まれていてその発表スライド作りに熱が入ってきました。自分の専門領域外の話なので断ったのですが、せざるを得なくなりました。
スライドを作るときはなるべくシンプルなものにしたいと考えています。スティーブ・ジョブズのスピーチのようにスライドには1ワード(Word)か1フィガー(Figure)が理想です。それを使いながらスピーチできたらといつも思います。
来週はMRさん向けのスピーチ、7月上旬にはアップルユーザーグループの集まりでスピーチ。これらの機会を踏み台に少しでも上手に話せるようになりたいものです。
最近ちょっとハマっていること。それはGoogle Earthでフライトすることです。先日はカトマンズから世界最高峰のエベレストを目指しましたが途中何回も墜落。昨日は大隅半島から桜島を越えることにしました。そのときの操縦席から見える風景が下の写真です。とってもいい気分転換になります。
10日(火曜日)
3Gに対応したiPhone 3Gが7月11日ソフトバンクモバイルから発売されることが正式に発表されました。
な、な、なんとその価格がおどろきの安さ!!! 199$と299$の2つ。その違いはフラシュドライブの容量、8GBと16GB。わたしが買ったiPod
touchに携帯電話の機能を付加したのがiPhoneです。なのにiPod touchの方が高いとはいったいどういうこと????という疑問を抱きます(私のiPod
touchは5万円ほどしました)。
ソフトバンクモバイルのことですから8GBのiPhoneは2万円以下で売ってくるかもしれません。スマートフォンが5万円ぐらいですからiPhone登場で携帯電話市場は大混乱するだろうと予想されています。すぐに国内100万台ぐらい売れるだろうとすでにヒートアップしています。
どこでもインターネットやメールの送受信ができるのはもちろんGPS機能も付いています。楽曲や映画のダウンロードもどこでもできます。サードメーカーにアプリの開発環境を無料提供しているのでいろんなソフトが次々に出てくるらしいです。
じつは何よりも国内市場に大打撃を与えるのはアップルの商売のやり方です。そのやり方はグローバルスタンダードなのですが、DoCoMo、KDDI、Softbankという通信会社は携帯電話を作る企業よりも力が強いのです。つまり、通信会社主導で携帯電話機が開発されます。こんなものを何台作れと通信会社がメーカーに契約して作らせるのです。それを通信会社が買い取って顧客に売り、通信料金で回収するものです。
アップルの国内携帯市場への参入は体制崩壊を起こすものです。これからのアップルの事業展開が見物です。詳しい情報は『マックお宝鑑定団』
9日(月曜日)
なんと陰惨な事件が起こるのだろうと、昨日起こった通り魔殺人事件には大きなショックを受けました。犯人のあまりに身勝手なエゴな考えがまったくわからない。他人を巻き添えにするという身勝手さ、自分中心すぎるエゴイズム、テレビに映し出された映像はハイビジョン効果もあって事件現場に居合わせているような錯覚に陥って心が凍ってしまいました。
わたしたち医療人は病気の人を対象に働いていますが、患者さんの体は実に大切に扱います。採血で針を刺すときは必ず「ちょっと痛いですよ。ごめんなさい。すぐに終わりますから。」と、ずっと患者さんに謝っています。メスを使って患者さんの体を切るとき、実に優しく少しずつ切っていきます。万が一、出血がおこれば、すぐに出血源をみつけて止血します。
なぜ最近ずっと刃物を使った殺傷事件が続くのでしょう。本来、刃物は穀物を切ったり、家畜を処理したりするためにヒトが作り出した初期の道具だったはずです。それから戦乱のときに闘うための武器となったでしょう。これらは、行為を理解でき、納得できるものです。しかし、人間に無差別に向けられることはあってはならないこと。これは大きな社会問題としてこれから考えていかなければならないのでしょう。
さて、対照的に心の洗われる詩を目にすることができました。きょう、私の2人の子どもたちがお世話になった保育園の園長先生から手紙をいただきました。その中に園長先生が大事に育ててきた高校3年生になる娘さんが骨肉腫という悪性の病気と闘った記録が書いてありました。
冒頭に娘さんが12歳のときに書いた将来の自分へのメッセージが書かれていました。
二十歳の私に
まわりの人たちにできるだけ優しくしてほしい
いやなことが少しあったら、
あとでいいことがたくさんあると思う
自分をなぐさめて強く生きて欲しいのです
どうぞくじけないで頑張ってください
6日(金曜日)
15日日曜日に藺牟田池外輪山を一周するコースに決定しました。山王岳、片城山、飯盛山の3つを登る予定です。湖がだいたい標高300m、いずれの山も標高450m前後ですから高さよりも歩く距離です。しかし、一部斜面の歩きにくいところがあるようですが、ロープが張ってあるようなので大丈夫だと思います。およそ3時間半のコースなので、朝8時半に内村川上内科駐車場に集合、10時から歩き始めることにします。食事は飯盛山の頂上か、もっと手前でもいいかと思います。午後2時ごろには解散になると思います。
藺牟田池のすぐ近くに日本一の大水車のあるソーメン屋があります。ここのソーメンはうまいので食べて帰るのも楽しみかと思います。
参加自由です。多数の参加待っています。私は息子と2人で参加します。問題は天気です。まだ予想は出ていませんが、13日まで雨が多いです。
5日(木曜日)
きのう収録したポッドキャストを公開します。約16分というかなり長いポッドキャストになっています。話題はちょっとまとまりがなく、茶飲み話的ですが、今の生の明輝会を伝えています。ポッドキャストコーナーにお入りください。
4日(水曜日)
ついに発表されました。日本国内でiPhoneがソフトバンクモバイルから発売されることが→●。年内発売は間違いないようですが、先日tokuさんから聞いた情報では7月までに発売されるのではということでした。もちろん私はすぐに買い替えるつもりです。
3日(火曜日)
午前中は特筆することもありませんでしたが、午後の訪問診療は16人。さすがに2時間では終わりませんで、2時間の枠を越えて走り回りました。幸か不幸か、外来診療が極端に少なく18時までにはちゃんと終わりました。
偶然にも本日2人に膝関節注をしました。ひとりは夕べ転倒し両膝を強く打撲し関節内出血がおこって関節内の血液を取る必要があった方です。もうひとりは整形外科まで行くのが困難だから売っていただけるものなら関節注してほしいと希望された方です。
以前は関節注を喜んでしましたが、ずっとやめていました。内科医はあまりしない方がよいと考えていたので消極的になっていましたが、在宅医療には結構ニーズがあるのでもう少し積極的に関節注をしてみようと方針変更です。
あす、もしかしたらポッドキャスト収録をするかもしれません。話題がないので困っているのですが、雑談形式でやるかもしれません。
2日(月曜日)
4月1日から後期高齢者医療制度の下、当院では後期高齢者診療料600点を算定しておりますが、年間診療計画書を患者さんといっしょに記入しています。この計画書にはケアマネージャーを書く欄があります。高齢者はとっさにケアマネージャーの名前を言えないのがふつうです。当院の患者さんの半分くらいは居宅介護事業所を『ケアセンターよしの』か『ケアセンター川上』であるのでここでホームページがたいへん役にたちます。すぐに→ここを見せて、「この中のだれがケアマネージャーですか。」と訊くことにしています。もちろん、すぐに「この方です。」と、答えてくれます。
ホームページが充実してきてグーです。最近のホームページ更新には『ケアセンターよしの』スタッフ写真で腰をおろして写っているS君のブラックのMacBookが使われています。
1日(日曜日)
今月から改正道路交通法が施行されていますが、後部座席に座った小学1年の息子は自分でシートベルトを締めていました。この間、シートベルトをしないと警察にお父さんが捕まってしまうよと教えておいたことが効いたようです。
先週金曜日に背伸びしたときに右足のこむらがえりが起こりました。1年以上なかった久しぶりのこむらがえりに声も出ないほど、あと何秒でおさまるのだろうと歯を食いしばってこらえました。たぶん30秒ぐらいのヒラメ筋の異常収縮だったのでしょうが、その後もずっと鈍痛が残っています。
こむらがえりには芍薬甘草湯が効果があるので、実際の診療でもよく処方しますが、手元になく月曜日も続くようならば自分も飲んでみようと考えています。
NHK大河ドラマ「篤姫」は毎週面白く見ています。鹿児島にゆかりのドラマであることは周知のことですが、鹿児島出身の俳優が多数出演してます。なかでも音楽プロデューサー吉俣良さん、女優の稲森いずみさんは私と同じ鹿児島市立天保山中学校の出身です。ふたりとも後輩で吉俣良さんは1つ下の学年でした。そういう意味もあってとても親しみを感じながら「篤姫」を見ています。
下の写真は吉野町にあるハーベストレストラン、ラピュタ・ボタン(LAPUTA BOTAN)から錦江湾の向うに桜島を望んでいます。
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