31日(日曜日)
当番医でした。内容が濃くて精神的にも疲労しました。14人診ましたが、3人CTを撮る必要がありました。1人は救急車で後方病院に搬送しました。
30日(土曜日)
岡山県倉敷市で手広く医療と介護の事業展開をされている先生が当院の見学に来られました。有床診療所の経営は赤字でたいへん過ぎると私と同じ立場でした。朝10時から昼1時過ぎまで見学されたようですが、私は外来診療のためゆっくりとお話しできず残念でしたが、当法人事務局長がろうけん青空や高専賃を案内しました。高専賃にはとても興味を持っておられたようです。
さて、夕方から恒例のグループホームよしの村納涼祭が催されました。グループホーム関係の人ばかりでなく地域の人たち、子どもたちがずいぶん大勢集まっていました。その後の進行はスムーズで楽しい2時間でした。
ただずっと天気が心配で途中ときどき小雨が降りましたが、終わるや大雨になってしまいました。天気もよしの村納涼祭のためにこらえてくれたのだと思いました。
29日(金曜日)
現在、在宅には末期癌の患者さんが5人ほどおられます。入院患者さんにも重症な方が多いです。毎朝、病棟、外来、訪問看護ステーションの看護師さんから患者さんたちの状態報告を受けています。うんうんと頷きながら聞いていますが、これだけ重症患者さんが多いと混乱を起こすのでカルテを見ながら聞くようにしています。しかし、朝はみんな忙しくて組織立った動きをしてくれません。つまり、同一患者さんについて同じ内容で複数の看護師さんが尋ねてきます。
その内容に関しても病態に対する医学的な判断を求められ指示をだすことは比較的しやすいですが、家族の精神的なサポートはむずかしいものです。十分な時間が必要です。しかし、十分な時間を割くだけの時間がありません。どうしても役割分担するしかないような気がします。
28日(木曜日)
水曜日の午後は当院ではじめてのCART(腹水濾過濃縮再静注法)をおこないました。きのうのつぶやきで書かなかったのは、CART後の様子が予測できなかったからです。
1977年に開発された治療なので以前から知ってはいましたが、面倒ということがあってずっと遠ざかっていました。しかし、最近になりやはり積極的に腹水コントロールをしようと考えが変わってきて実施に踏み込んだという次第です。
CARTを提供するのは旭化成クラレメディカルという旭化成グループの会社です。さすが『膜』の旭化成です。病棟の廊下にCARTの回路を組んで腹水が濾過濃縮されていくところを見ていましたが、ちょっと感動です。ミニ透析といった感じですが、何よりも腹水の有効成分を濃縮して体に戻せるというのがうれしいです。
27日(水曜日)
今月から最後の水曜日の午後に当法人のグループホームの管理者、内村川上内科の常勤医と訪問診療に関わる看護師の代表、訪問看護ステーションの看護師の代表が集まって合同カンファを開くことになりました。
当法人には3つのグループホームがあり、7ユニット63人の患者さんがおられます。この患者さんたちは内村川上内科に通院していたり、訪問診療を受けております。訪問診療の場合、月に複数回診察を受けることになりますが、病状が悪いと、もっと訪問診療を受けます。当然診察医が変わるので病気に対する考えが微妙に違い、グループホームのスタッフに戸惑いがみられました。これを少しでもなくそうと月に1回関係者が一堂に会して現在グループホームで医学的に問題のある患者さんの病気について今後どのように取り組んで行くのかを確認することにしました。
実際、本日話題に上がった患者さんは10名もおられず1時間もかかりませんでした。この会合を提案した私としては成功だったと思いましたが、これからさらに発展していくことを期待します。
追伸:26日夜は飲み過ぎて書けませんでした。
25日(月曜日)
北京オリンピックが終わり、当面の楽しみは何?というところです。具体的にありませんので仕事上の足固めをしながら目標を見つけるまでの充電をしたいと思います。
さて、朝礼で福島県立大野病院事件について話しました。この事件は実に不可解な経緯をたどった事件であり、しかもその訴訟の影響は計り知れないものです。この事件の重大さについて当法人の職員の何割が考え、将来の医療を憂えているのかと思いながら、朝礼の話を終えました。
もし、周産期医療の崩壊をくい止めることに賛同できる方は是非署名活動に協力してください。→ここから
24日(日曜日)
サマーナイト大花火大会の花火をiPhoneのカメラで撮ってみましたが、タイミングがとてもむずかしい。
22日(金曜日)
よかった。感動で涙がでました。北京オリンピック陸上男子400mリレー銅メダル。ついにやった。若い塚原、高平が泣いていました。熊本出身の末続が感謝の気持ちを吐露していました。36歳の朝原も感動と感謝をコメントしていました。
日本が短距離種目でメダルをもらうのは初めてのこと。バトンパスが最高だったのが一番の勝因だと思いますが、4人の心が1つになった結果でもあると思います。
レースが終わって4人が抱き合って喜んでいるシーンのあと、4人ともそれぞれ自分たちだけの勝利ではないと言っていました。コメントもすばらしい。自分たちを支えてくれた人たちみんなで勝ち取った銅メダルだと、日本人全員による銅メダルだともコメントしていました。自分1人だけのためでは苦しい練習に耐えられない。家族や友人のサポートがなければ、長い期間のつらい生活を送れないでしょう。
先日のアメリカの男子女子400mリレーではバトンを落としましたが、バトンを受けた方が渡した方を罵倒しているシーンが放映されました。聞くところによると、アメリカは個人プレーの練習には熱心だが、バトンパスの練習はほとんどしないで本番に臨んだそうです。あんなすごいスピードでバトンを渡すことは非常にむずかしいことで互いの息が合っていないとうまくできないはずです。ここでも、農耕民族と狩猟民族の違いが出ているのだろうかとつくづく考えました。
三島村硫黄島
21日(木曜日)
朝、家を出るときから吐気がしました。外来診療を始める前になってすこぶる気持ちが悪くなってきました。吐気を我慢していたら脂汗が出てきて、それでも待っている患者さんたちを診察しなければという責任感で診察を始めました。頭がボーっとします。休みたい。代わりがいれば代わってほしい、そう思いながら同時にきょうは淡々と診察しようと決めました。エコーや胃カメラなど体力を使う検査は敬遠することに決めました。
しかし、9時になるなり、救急車が入るという連絡が入りました。脂汗が次々に吹き出てきます。患者さんにわからないように遠くなりそうな意識を引き締めながら、気合いだ気合いだというアニマル浜口の闘魂注入をおこないながら、目の前の呼吸不全の患者さんを診ました。付いてきた看護師さんがしっかりしていたので助かりました。
午前の診療を何とか終え、昼休みはとにかく院長室で寝ました。20分くらいぐっすり寝ると、とても爽快な気分になっていました。疲れかなあと思いながら午後の病棟回診に向かいました。
ドラゴンフルーツ
20日(水曜日)
福島県大野病院の事件の判決が午前中に無罪と出ました。無罪は当然の判決と思っていましたし、少し安堵できますが、あいかわらずテレビの報道は情緒的できわめてアンフェアです。事実を正確に伝えていません。医療サイドが悪いように歪められた報告書を柱に報道がなされ、裁判に至っていることをマスコミは一般の国民に伝えていません。
この事件の影響はきわめて大きなものでした。医療崩壊を加速させ、産婦人科医や外科医を目指す医師が激減しました。地域産科医療を1人でがんばっていた医師を不幸なできごとがあって1年以上たってから逮捕するという国家権力の介入。県立病院でおこった不幸なできごとを示談ですまそうとしたウソの報告書がきっかけとなり裁判は始まったのです。医師が逮捕された日はその医師の子どもさんが生まれる前の日だったと聞いています。産婦人科医にわが子の誕生を喜ばせてはならないという意図があったとも聞いています。
医療行為は100%成功するのが当たり前で、そうでなかった場合はミスとする風潮があることは私の日常の診療においても感じることがあります。寿命だから、病気が病気だからという言い訳が通用しないことがたまにあるのです。100才が目前の人でも、悪性の病気の診断が説明してあっても、まだ死ぬはずがないと勝手に思い込まれてしまって、もう死にますという通告を容認できない家族がごくたまにいらっしゃいます。
この大野事件を「火事を消せなかった消防士を訴えた裁判」、「溺れている人を助けようとして助けられなかった人を訴えた裁判」と例える人もいますが、まさしく「医師として10年以上メスを使ってきたのにメスさばきが悪かったからと突然殺人犯と訴えた裁判」です。
判決後の加藤医師の話には頭が下がる思いです。それに比べてマスコミの質問は最低な内容です。
19日(火曜日)
娘がNPO法人吉野ねぎぼうず(→●)の主催で南海の硫黄島に3泊の旅に出かけました。硫黄島は三島村にある島で私は行ったことはありませんが、非常に興味のある島です。私も行きたいというのが、正直な気持ちでしたが、同行できず残念です。離島の火山というのにもそそられます。ロマンを感じます。
以前、当院には三島村の近くの十島村の人が夫婦で長く入院していましたが、離島で病気になると本土に来て最期を迎えるという事実を知り、離島医療の現実に愕然としたことがあります。
鹿児島県には奄美大島、屋久島など大きな離島が数多くありますが、ここにはそれなりの病院があってまだましです。三島村、十島村にある島々は実に小さな島で人口も100人以下がほとんどです。ここで営まれている医療は想像できませんが、いまは何かあればドクターヘリでしょう。
18日(月曜日)
じつに何日も更新せずにいました。仕事とプライベートが忙しくパソコンを開いてもちょっとネットを覗いて調べものするぐらいでした。お盆も当番でしたし、北京オリンピックで寝不足にもなりました。
50才になった同窓生の集まりが土曜日にあったのもつぶやきを更新しなかった理由です。同窓会には100人以上集まりました。35年ぶりに会う友だちがほとんどで、最初はだれかわからなくて困りました。そこは同級生同士、途中からだんだん思い出してくるものです。しかし、反面、翌日写真を見てやっとわかった人もいました。昔は友だちだったけれど予想以上に変化していてわからなかった人たちです。
つぎはいつ会うのだろう。終わってからまた同窓会したいなあと変な気持ちになっています。ノスタルジアにひたることはこんなにも心地よいことかと、自分らしくなくなってしまいました。
ノスタルジアにひかれてはいけないと、明日から気分一新して生きて行こう思っています。
12日(火曜日)
だれやめに飲んだ焼酎ファウ(FAU2007)、奄美大島宇検村産の黒糖焼酎ですが、アルコール濃度44%がすごい。薄めて飲むのももったいないと思い、小さなガラスコップに注いで基で飲んでみました。効きました。ウォーミングアップに別のふつう濃度の焼酎をふつうコップで1杯基で飲んでいたせいもあるでしょうが、飲み終わると頭がクラクラしてきて気持ちよく眠ってしまいました。目が覚めたら朝5時。たまにはつぶやきをサボタージュしようかと思いましたが、何でもいいから書こうと朝のニュースを見ながらつぶやいています。
追記:このファウ、頂いた人に教えられたとおり冷凍庫に入れて十分に冷やしてから飲みました。確かに冷凍に入れても凍っていませんでした。
11日(月曜日)
日曜日の朝から今朝まで日当直。お盆前なので訪問診療の患者さんが十数人いました。午前中で訪問診療をすまし、午後から1回だけ往診依頼がありましたが、近くのうどん屋で昼食中に電話がかかり、待てないほど腹痛がするという外来患者さんからの往診依頼で24時間対応の病院に行ってもらうことになりました。その後も拘束されたわけですが、遊びに出かけることもできず疲れました。
ここ1か月ぐらいで、癌末期状態の在宅患者さんが5人ほどに増え、在宅医療も忙しくなってきました。看護師さんたちが点滴する機会が相当増えています。癌患者さんの場合、精神的なフォローも必要となり、また、本人だけでなく家族との接点も重要でこれからしばらく多忙が続くわけですが、患者さんをとり間違えることなくひとりひとりの患者さんの最期まで伴走したいと思います。
家に帰ると、北京オリンピックの観戦で感動することが多く、こちらからパワーをもらっています。
8日(金曜日)
きょうは参りました。忙しい外来診療中に経鼻内視鏡とエコーの2つの医療機器がほぼ同時に使用不能になったからです。内視鏡検査予定が2人、エコーが2人予定されていましたが、どちらも一人目でストップ。すぐに打った手は、1人目の人はすでに胃まで入った内視鏡を抜いてしばらく点滴をしてもらいました。2人目の胃カメラ予定の方には電話をしてキャンセル。1人目のエコー予約の方には辛抱して待ってもらい、2人目はキャンセルしました。
いずれも1人目の方は検査をするつもりで来院されており、検査をスタンバイかスタートしていました。これをいきなり中止せざるを得なかったのです。たいへんな迷惑をかけてしまったと思いましたが、器械のことなのですぐにメーカーに連絡をとり最善の対策を採りました。
メーカーの方もすぐにかけつけてくださり、胃カメラは漏水で電気系統に故障、エコーは基盤か電器通信系に故障の原因があるようでした。修理代に200万円程度かかりそうです。(T_T)
夜は北京オリンピックの派手なオープニングセレモニーを楽しみました。
7日(木曜日)
当院は、循環器系のくすり、代謝に関するくすり、抗生物質だけはジェネリック医薬品を使わないとしています。しかし、誤った時代の流行でジェネリック医薬品が使われるケースが増えているのは事実です。
私がジェネリック医薬品を使わない理由がこうです。
1.ジェネリック医薬品で副作用が出たり、ジェネリック医薬品の服用によって患者さんがどんな不利益を被っても、その責任はだれにもなく、ジェネリック医薬品を服用した患者は泣き寝入りしなければなりません。処方せんを発行した医師も、発行された処方せんを変更した薬剤師も、責任なしです。
2.ジェネリック医薬品のメーカーやジェネリック医薬品推進派は主成分は同じだから安いジェネリック医薬品を使いましょうとさかんに宣伝していますが、この論理はまちがいです。主成分は同じでも、主成分の吸収を助ける成分や安定性を保つ成分はまったく違うために吸収率が悪く作用が減弱したり、血液中でくすりの成分が安定せず。作用が不安定になったりします。なかにはくすりが吸収されずそのままの形で便に出てきたという笑い話もあります。
3.ジェネリック医薬品メーカーからくすりに関する情報がまったくこないことです。ジェネリック医薬品メーカーは安いことばかりを宣伝して、採用されたらそれで来院は終わり。くすりの基礎データや臨床データを教えてくれません。無責任です。
4.ジェネリック医薬品になって血圧のコントロールが悪くなったり、肝機能障害がおこったりするケースが意外に多いものです。
これ以外にもジェネリック医薬品は安定供給されず、突然供給が止まって別のジェネリック医薬品に変えなければならないという事態があるとか、名前も知らない、製造メーカーも知らないくすりを患者さんの体内に入れることは医師としてできませんとか、理由はいっぱいです。そもそも私自身が飲みたくない二流製品を患者さんに勧めたくありませんし、ライセンスの切れた古いくすりを患者さんに勧めたくありません。副作用が少なく、メリットの多い新しいくすりを患者さんに勧めたいと思っています。たとえばライセンスの切れた古い高血圧のくすりは急に血圧を下げ、最悪の場合は虚血性心臓病を引き起こすことがありますが、新しい高血圧のくすりはそんな危険なことはなく、ほかに血管を若返らせるとか、心臓や腎臓を保護するなどよい面があります。私は少々高価でも新しいくすりがいいと思っています。
しかし、以上のことを踏まえても、やはり安いジェネリック医薬品がいいと言われれば処方します。
6日(水曜日)
『鹿児島市緩和ケアネットワーク』発足に伴い、参加のお誘いがありました。午後、発起人あるいは代表世話人になる先生が当院に来られ、末期癌患者さんの訪問診療、訪問看護、等について互いの意見交換をしました。
ここで組織名に鹿児島市の市が入っていることがミソで、すでに『鹿児島緩和ケアネットワーク』という組織があるようです。こちらの方は約10年の歴史があり、
ホームページもあります。その活動はかなり活発でアカデミックな印象です。
では、鹿児島市緩和ケアネットワークはどんなものなのか、昨日の時点では鹿児島緩和ケアネットワークの存在を知らなかったので相違点等の質問をしなかったのですが、地域の医療機関同士の交流を活発にしたいという意図を感じました。
5日(火曜日)
訪問診療中、ある在宅患者さんの門に鍵がかかっており、玄関に通じる中庭に入ることができませんでした。ここは徘徊する患者さんがいるので奥さんがいつも鍵をかけてどこからも道路に出られないようになっているのです。もちろん外からも入ることができません。
看護師さんが電話をかけすぐ鍵を開けてくださいとお願いしていました。私は門の前に立ち、上を見上げると木に大きな紙のようなアゲハチョウがいるのを発見しました。ずいぶん大きなチョウだなとと思いながら見ていると交尾中のアゲハチョウであることがわかりました。ポケットからアイフォーンを取り出してシャッターチャンスを狙っていましたが、80才過ぎの奥さんが鍵をジャラジャラとさせながらやって来られ、2匹のアゲハチョウが交尾しながら飛んでしまい撮った写真が下です。
4日(月曜日)
土曜日、地元の夏祭りで久しぶりに金魚すくいをしてみました。薄い紙の網を破ることなく結構簡単だなと思いながらなんと3匹も金魚をすくって子どもたちの尊敬を受けました。一気に金魚が増えたので一回り大きい水槽を買ってきて1日に何度も眺めています。それから何匹か金魚が死んで今金魚4匹メダカ1匹の構成です。水槽を眺めていてもぜんぜん飽きません。むしろ癒しの時間を過ごしている感じです。
話は前後しますが、メダカの赤ちゃんが何十匹も生まれてその大半を水槽に移したところ水循環をさせているポンプに吸い込まれてフィルターにぶつかって全滅しました。長さ2−3ミリの小さなメダカでした。残りのメダカは別のバケツの中で生き続けています。もう少し成長したら仲間のいる水槽に合流させようと思っています。
わが家には離れたところにはクワガタムシが4匹入った虫かごがあってここも癒しの空間です。4匹のクワガタムシが実にゆっくりとのんびりと生きています。人工の土からはい出てきたクワガタムシが蜜を吸い始める瞬間に出くわしました。わが家のクワガタムシはしあわせかなとふと思ってしまいます。
さて、8月は夏休みだし、お盆があったりするので、非常勤の先生方の休みが少し多いです。それをカバーするのは私なので8月は日当直が多く体力的に不安が増します。しかも、今月は日曜当番医にも当っているので体調を整えて毎日を過ごしたいと思っています。
1日(金曜日)
8月になり、重症な在宅患者さんが増えてきました。それに伴い夜間の往診依頼が増えるのかと思っていますが、いまのところそれはありません。しかし、病状の進行につれ、呼び出しが増えるでしょうことでしょうね。昼間のうちにしっかり患者さんを診れば夜あまり呼ばれないだろうというのが一般的ですが、高齢者やそういかないことがあるようです。
8月になって、FHさんのことだけは記しておこうと思います。というのは8月1日でFHさんとお別れだからです。もうFHさんに訪問診療することができなくなりました。これがとても寂しいです。
FHさんは私が内村内科の院長になった当時からずっと診ています。8年前は在宅で日当たりのいい部屋にいつも座っていて動悸がするとか、胸が苦しくなったとか、行くたびに訴える人でした。話を十分聞いてあげると落ち着かれるのですが、夜間に突然電話がかかってきて往診することもありました。当時とても寂しかったのだと思います。それから足腰が衰えて独居生活に不安が大きくなり、ろうけん青空に一時入所しましたが、程よくしてグループホームに移りました。グループホームに移ったころは少し認知症が出て愁訴が変わっていました。
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