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今月の予定:
21日 開聞岳登山(中止になりました)
24日 鹿児島県医師会勤務医会で脳卒中地域連携パスにおける維持期リハビリ とくに在宅医療部門の立場から発表


27日(月曜日)
 朝からネット障害が発生していました。院長室でインターネット検索ができず困りました。朝礼後、ルータがトラブルを起こしていたことがわかり、再起動によりすぐに復旧しました。午後からは病棟のイントラネットプリンタが使えず、書類作成に不便を感じました。これはまだ復旧していません。
 さて、朝礼でtPAネットワークの話をしました。脳卒中を疑ったら2時間以内に脳卒中専門病院に送れるようにしましょうと話しました。組織プラスミノーゲンアクチベーター(tPA)を静脈内投与すると血栓が溶けて何ら後遺症も残さず治癒する脳梗塞があることを話しました。


26日(金曜日)
 今朝、マイケル・ジャクソンが急死したというニュースが入ってきましたが、外来にはこのニュースを知って気分が悪くなったという同世代の人が来られました。私も同年齢ですが、大学時代の友人にM・ジャクソンのムーンウォークのうまい奴がいてよくバスケのコンパでやっていました。黒人のM・ジャクソンは肌の色にコンプレックスがあったのでしょう。白人になりたいと全身のリモデリングを繰り返しました。そして化け物のような顔になってしまいました。あの奇行はもしかしたら心も病んでいたのかもしれません。なぜ急死したのか。死因はまだわからないそうですが、それよりもあの御殿(ネバーランド)にあるプレミアムものは一体どうなるのだろうというのが私の目下の興味です。
 さて、昨日発生した傷害事件のもう1人の犯人は現在も逃走中ですが、犯人がバイクで逃走した方向の先に住んでいる在宅患者さんに昨夜は怖くなかったですかとたずねると、もちろん怖かったですよと答えました。そうして夕方ものすごい速さでバイクが家の前を走り抜けて行ったと教えてくれました。もしこれが犯人のバイクだったとしたらほんとに怖い話です。


25日(木曜日)
 夕方5時30分、あと30分で診療時間が終わる頃のことです。にわかに外が騒がしくなってきました。サイレンを鳴らしたパトカーが次々に近くに寄ってきています。外来患者さんがいなくなったので緊急用入り口のドアを開けて外に出てみると、クリニックの前の県道は渋滞になっており、歩道に大勢の人が集まっています。すぐに近くで傷害事件があって人が刺されたという情報が入ってきました。火事か交通事故があったのかと思っていましたが、まさか傷害事件とは驚きです。
 きょうは回診後のカルテ整理も順調に終わり、診療時間いっぱい溜まっている特定疾患の診断書を書いて帰宅しました。帰宅して見たテレビのニュースで犯人2人のうち1人は逮捕されたが、もう1人は逃走中で行方がわからないということを知り、あわててクリニックに戻りました。クリニックのすべての出入り口をロックし、当直の先生にも外出しないように夜間の往診にはじゅうぶんに気をつけるようにしてもらうためです。しかし、クリニックに着いたときは私の心配は安心に変わりました。クリニックはすでにそのようになっていて中に入ることができませんでした。さすがでありました。


24日(水曜日)
 夜7時15分から始まる勤務医会のシンポジウムの前準備のため5時30分には鹿児島県医師会に着いてパソコンとプロジェクターの接続テストをしました。早々とたったこれだけのことをするために行ったのは本番で迷惑なことを起こすことがあるからです。
 さて、会場は60人程度の参加で空席が少し目立ちましたが、演者の先生方は熱意を持って話しておられました。わたしはと言うと、一番最後の発表で緊張しながら待っておりましたがだんだん目が疲れかすんできました。やっと順番が来て演台に立って話し始めたのですが、映し出された自分のスライドがかすんでよくみえないのでかなり困りました。いつもは眼鏡を使い分けているのですが、きょうは失敗でした。しかし、リハーサルどおりに何とか9分程度で話し終えました。その発表内容はホームページトップのおしらせからPDF書類をダウンロードしてみてほしいと思います。雰囲気だけは1分程度のビデオでみてください。ビデオ→ ビデオがみれない方はQuickTimeをダウンロードしてください。→


23日(火曜日)
 今週になってようやく梅雨らしくなりました。しとしととずっと小雨が降り続いていると思っていたらザーザーと大降りになったりです。でもやっぱり訪問診療のときの雨はたいへんです。私は雨靴こそ履きませんが、冬着ていたウインドブレーカをレインコート代わりに着て訪問診療をしています。副院長はというと、オレンジのレインコートを着て訪問診療に出かけたら若くみられ過ぎて軽々しく接して来られたと地味なレインコートを先日買っていました。


22日(月曜日)
 きのうは開聞岳登山しなくてよかったのかもと思った次第です。今日来院した男性MRさんは最近開聞岳に4時間かかって登ったらしくしんどかったと連発していました。この梅雨時の高湿度の条件での登山はかなり過酷です。4年前に登った高隈山の二の舞になったかもしれません。今回は悪条件が重なったので実現しなかった登山ですが、秋にはぜひ実現したものです。
 さて、あさってにせまってきたシンポジウムの準備が着々と仕上がってきました。10分以内に終わることができるかということを一番心配しています。内容は後日ダウンロードできるようにして公開しますが、今の内村川上内科、明輝会のリハビリの現状を知らしめたものです。


20日(土曜日)
 昨夜は近所の保育園の第三者委員会に参加し、それから家族と食事にアミュプラザまで出かけました。10時すぎに帰宅したらすっかり疲れてしまってつぶやきを書けなかったのです。
  ひさしぶりの保育園。あまり変わっていないことがよかった。会議が済んでから息子の担任だった保育士の先生に近況を語りました。もちろん園長先生ともいろいろなことを話しました。園長先生は私がこのつぶやきに園長先生の話題を取り上げたことをとても喜んでおられました。また、堂園クリニックの患者の会の方や鹿児島国際大学の先生もこの会のメンバーで様々な話をしました。たまたま隣になった鹿児島国際大学音楽科准教授中村ますみ先生は音楽療法の話をされたし、来る7月4日開催の『なかよしコンサート』の案内をされたのでここに紹介します。


18日(木曜日)
 昨日の夕方、外出しようと外に出ると、桜島が噴煙を高く上げていました。だけど噴煙の出ているところが少しちがう。これまで何回も見てきた噴煙の上がる位置がちがうのです。大隅半島寄りにある昭和火口という最近富みに爆発をくりかえしている火口から噴煙が上がっていて南岳からの噴煙ではないからです。昭和火口は吉野から見えないので桜島山頂の向こうから噴煙があがるという奇妙な光景です。
 さて、看護師さんから糖尿病の勉強会をしてほしいと頼まれました。対象者は明輝会の看護師さんと介護職の人たちだそうです。7月15日に1時間の勉強会をすることにしましたが、どこにポイントを置いて話せばいいのかさっぱりわかりません。したがって半分は質疑応答にしようと思います。


17日(水曜日)
 父が内村川上内科を退院して昨日自宅に帰りました。退院後自宅で生活するにあたり退院前に多職種によるカンファレンスをしました。内村川上内科の会議室には、本人とその家族、主治医、ケアマネージャーそして関連する介護サービスの各責任者の方々が集まりました。訪問看護をおこなう訪問看護ステーションの看護師さん、訪問介護をするヘルパーステーションの所長さん、通所介護の責任者の方、通所リハビリの主任さん、ベッドを入れた事業者の担当者さん、そして当院病棟の看護師さん、入院中の食事を担当した管理栄養士さん、今後訪問診療に携わる訪問看護師さんらです。
 さっそく今日は主治医として父の診察に実家を訪れました。やっぱり家がいいよというのが父の第一声でした。介護ベッドが置かれている部屋にうれしそうに座っている父が印象的でした。


16日(火曜日)
 先日、ソーメン流しをどうしても食べたくなり慈眼寺公園まで行きました。毎年何回か食べに来ていたのですが、ソーメン流しの器械が桜島バージョンになっているのに気づき笑ってしまいました。いや実に感嘆したというのがほんとうです。真っ白いソーメンが反時計まわりにぐるぐる回るのは基本的に同じですが、そのソーメンの一部が中央の穴から出てくるのです。その様子がちょうど桜島の頂上にある火口から白煙が噴き出てくるイメージです。ソーメンが運ばれてくるまで感心しながら写真を撮ったり、水道の蛇口をひねって流水を調整したりしていましたが、なかなかこの器械はよくできたもので水量が多くなると回転する水が速くなるばかりでなく火口からも次々と水があふれてきます。


15日(月曜日)
 21日に予定されていた開聞岳登山が中止になりました。私が体力に自信がなく、3日後に控えている発表準備の遅れから登山不参加でそうめん流しにだけ行きたいと申し出たところ院内の参加メンバーの大半がやめようという意見になり登山中止となりました。この埋め合わせは必ず秋にします。ほんとうに参加を意思表示してくださったみなさんにはすみませんと謝りたいと思います。すみませんでした。秋には必ずや開聞岳を制覇しましょう。


11日(木曜日)
 病棟回診には8人参加していた。親父の胸に聴診器をあてて腹部を触ってみるという一通りの診察は省略しようと思い、いち早く親父の寝ている特別室に入った。もう診察しないからみんなが来る前に起きてよと新聞を見ながら天井を向いて休んでいる親父に手を差し伸べ体を起こしてやった。そしてベッドに腰掛ける姿勢になったところでみんなが入ってきた。親父はみんなの方を向いて右手をちょこっと上に向けてニコッと挨拶をした。親父はみんなに何か一言しゃべったが何と言ったのかわからない。しかし、うけた。一声に笑い声が出た。親父の診察をしないと決めていたが、自然にそんな雰囲気になった。理学療法士に親父のADL評価をお願いし、在宅で暮らせるか結論を出してほしいと頼んだ。
 毎日診られている患者さんに対して週に一度の回診時におこなう診察とはある意味儀式である。省略できそうだが、できない。お互いが落ち着かないからだ。しかし、親父の場合だけはみんなの前で儀式をするのは大いに恥ずかしかった。だから親父の診察をしなかった。

 親父の部屋には明輝会職員の方々から贈られた花でいっぱいでした。この場を借りて感謝申し上げます。どうもありがとうございました。


10日(水曜日)
 鹿児島も梅雨入りしました。朝からずっと雨。雨に濡れて訪問診療がたいへんになりますが、患者さんに感謝されることもしばしばです。
  さて、昼から心エコーの勉強をおこないました。当院の臨床放射線技師にも在宅で心エコーや腹部エコーをしてほしいと考えていてそのための勉強です。腹部エコーに関してはほとんど不安はありませんが、心エコーと血管エコーには自信がありません。しかしながら心エコーは大切なので数年前まで私自身やっておりましたが、時間的な余裕がないことを理由に次第にやらなくなり、やれなくなりました。


新しくバージョンアップしたiPhone。ビデオが撮れる。私の食指が動いてきました。


9日(火曜日)
 夜、鹿児島市医師会館まで出かけ、再来週ある鹿児島市医師会勤務医会でのテーマ「脳卒中地域連携パス」についての打ち合わせを8人の先生たちとおこないました。わたしを除いた先生たちは脳外科医や神経内科医でした。その中で専門的な話を感心しながら聞いておりました。しかし、わたしが話す在宅医療や介護保険がからむ分野はまったくと言っていいほど周知されていなかったように思います。打ち合わせに参加してまた少し展望が開けてきました。10分以内で発表を終えることが至上命令のようですのでこれだけは守って内村川上内科の宣伝をしてみたいと思います。


8日(月曜日)
 私の子供たちがお世話になった保育園の園長先生からお手紙をいただきました。正確には第三者委員連絡会の案内状をいただきました。保育園の第三者の立場で保育園に寄せられた相談・苦情に対して意見を出し合う会です。案内状の下には私のつぶやきをいつも見させて貰っていますと書いてありました。医師の仕事の一面を知っていただいて私の方が恐縮してしまいました。この園長先生はエッセイストのようにユーモアあふれる文章を毎月『園長通信』に書かれています。ホームページにも掲載されていますからぜひ一読してください。→ここです。この園長先生は以前障害を持つ子供さんたちが通う養護学校に勤めておられたからしばしばそのときのことが話に出てきて私たちは深く考えさせられることがあります。また、この保育園を経営する理事長先生は緩和ケアで高名な堂園晴彦先生です。堂園先生のホームページはここです。このすばらしい先生たちのお役に立てばと来週末保育園の第三者委員連絡会に参加します。


7日(日曜日)
 金曜日の夜は非常に眠たくて帰宅後風呂に入って食事してそのまま寝入ってしまいました。たまにこんなことがあるのですが、当然つぶやきを書くことはできませんでした。
 さて、土曜日。外来に珍しい患者さんがおみえになりました。たぶん数年ぶりです。それまでまじめに定期的に受診していた患者さんで毎回いろんな話をしていた人なのでよく覚えていたし、当院から他院に移るときに医療情報提供書を書いてわだかまりなく終わった人でした。また、何かあったら来てくださいと私は言ったと思うのです。久しぶりの来院はわたしにとってとてもうれしいものでした。と言っても、その内容は夫の病気の相談であり、できれば最期まで私に診てほしいというものでした。目の前のかつての患者さんはずいぶん疲れているようでした。ほとんどどの夫婦も抱えるパターンでした。
  今高齢化を迎えてい夫婦のほとんどは男が年上です。したがってほとんど夫の方が先に倒れてしまい、妻がその介護をしてやがて未亡人になるというものです。しかし、これからは少し違ったパターンが出てくるでしょう。つまり年下の夫と結婚するパターンが増えているのでこのパターンは二人同時に終末期医療を受けることになる可能性があるということです。余計なお世話でしょうが、今後現れてくるこのようなケースは考えようによっては一緒に最期を迎えられてすてきだなと思います。


4日(木曜日)
 強力な診療武器を手に入れました。写真のようなコンパクトなエコー検査機器です。もちろん心エコーにも腹部エコーにも対応しています。小さくて軽いのに画像はきれい。これを使って、病棟のベッドサイドで、在宅のベッドサイドでエコーをバリバリやっていこうと計画しています。ベッドサイドでやることで患者さんはクリニックまで来る必要がなくたいへん楽になると思います。重症で移動ができない人でもエコーができるようになります。得られた写真はパソコンに取り込んで画像ファイリングシステムで管理しますからいつでも見れるようになります。もちろん電子カルテにサムネイルを貼り付けることができます。


3日(水曜日)
 ホームページの威力はすごいものです。父のことを書いたらさっそく反応がありました。また、東京の方からホームページ内にあるメールで当院に訪問診療の依頼がありました。吉野町に住んでいる母を在宅医療でみてほしいというものです。
  当法人ホームページは自分たちで作った部分とプロにお願いして作っている部分が合体していますが、総じてアットホームな雰囲気を前面に出し、わかりやすい情報を発信するように努めているつもりです。なかなかホームページの充実が進みませんが、みんなと力を合わせて楽しい情報基地を構築したいです。


2日(火曜日)
 先週の水曜日に父が3回目の手術を受けて以来毎日私は仕事を終えてから父の見舞いに行っておりました。昨日から経口摂取できるようになり、きょうは点滴ルートがとれていました。また、おむつがパンツに変わっていました。先日の日曜日、私1人で父のおむつ交換をしましたが、かなりたいへんな作業でした。いつも看護師さんたちがやっているのを思い出しながらなんとか変えることができましたが、くさいものがいっぱいあったらできなかっただろうと思います。
 父は 術後しばらく夜間せんもうがはげしく、母はすっかり参っていました。母に毎日24時間ずっとそばに居ないで、たまには帰宅してゆっくり休めばいいのにと言いましたが、聞き入れませんでした。共倒れになることはなく、やっとですが、徐々に落ち着いてきた感が出てきて安心しています。私も禁酒を解き、昨夜は1人で乾杯して焼酎を飲み干しました。そのままテレビの前でうとうと寝てしまい気づいたら深夜0時を回っていました。


1日(月曜日)
 今朝の朝礼で職員向けに話したのですが、昨日小学校の授業参観に行って授業内容が英語であったので驚きました。英語を習うのは中学校からと思っていたのですが、ここにきて『ゆとり教育』が大幅に見直されています。ゆとり教育の旗振り役であった文部省キャリアの寺脇研氏を話題にしました。この方が鹿児島と大いに関係のある人であることを知っている職員は1人もおりませんでした。私は氏の主張に首をかしげることが多く、自分とは違う考えの人だと感じていましたが、ある日この人の父親が鹿児島大学医学部元教授と聞いてとても興味を持ちました。氏はラサール中高一貫教育を受け、父の意に背き医師の道を外れ東京大学法学部に入学しました。中学高校6年間に父親と一部の教員とぶつかり、そのときの思いがエネルギーとなって教育改革を押し進めて行った感があります。氏の父親は小児科教授で私の恩師でありました。当時鹿児島大学の医学生の間では非常に厳しい先生という噂が流布しておりましたが、ポリクリという臨床実習で私の診察結果を教授に伝えたあと教授が私の聴診所見を認めてほめてくださったことを今もはっきりと記憶しています。医局員には厳しかったものの医学生には意外にもものわかりのよい先生でした。ですから氏の本に出てくる父親と氏の葛藤が理解できません。そのことがどうして日本全体の教育を変えることになるのかと疑問を抱きます。ラサール高校という特殊な教育環境で苦しんだ経験から日本の教育が悪いと思い込み、教育を変えていきました。6才から受ける初等教育から12年間どっぷりとゆとり教育に浸かったゆとり教育世代はこれまでといっそう違う世代です。
 いずれにせよ。私は、自己主張はできても夢を語らない子供たちを育てた『ゆとり教育』は間違っていたと思います。