カテゴリー別アーカイブ: おいどんと林檎

井形昭弘先生逝く

昨日の新聞に井形先生の訃報を朝刊で見てショックであった。以前にも書いたかもしれないが、私が医学部バスケットボール部に所属していたときは顧問をしていただいたので、教授室を訪ねると、部員で飲みなさいとウイスキーを何度もいただいたことを記憶している。医師になって3内科で研修を受けさせていただいたときは、教科書に載っていないようなことを教えていただいた。宴会では教授でありながら医局員に1人1人お酒を注いでいかれる腰の低い先生だった。私が30代の後半のころ名古屋空港か、どこかでの空港のトイレで偶然隣になったとき、名前で呼んでいただいた。下っ端医師の私でさえも記憶していただき感激した。もちろん医師としても業績はすごくてSMON、水俣病、HAMの第一人者だったし、鹿児島大学学長を辞められてから、介護保険制度立ち上げに尽力された先生だった。井形先生ありがとうございました。先生のご冥福をお祈り申し上げます。

坪内博仁教授退任記念誌

恩師である先生の記念誌が送られてきました。かなり分厚いので気になるページだけ目を通し、あとは自分の名前が載った論文を探しました。自分は1988年ごろから1992年ごろにかけて生化学教室で毎日実験をやっていたんだなあと感慨深く思い出しました。その間に先生から物事の考え方、解決のしかた、文章の書き方、人との付き合い方まで教えていただきました。先生は現在鹿児島市立病院院長の立場におられますが、またお会いしたいです。
image

鹿児島市在宅医会事例検討会で発表しました

昨夜28日鹿児島市医師会館大ホールで「内村川上内科で3年5か月、吉野東ホームクリニックで1年3か月使用しているキュアケアネットについて」というタイトルで40分の時間をもらってしゃべりました。鹿児島市で在宅医療に熱心な方々の前で自前のキュアケアネットについて話せて幸せです。満足しました。最後に座長の桶谷先生からキュアケアネットの目標を訊かれましたが、より使いやすいものにしたいです。

IMG_0211

IMG_0209

ポケモンGO

昨日から話題沸騰のポケモンGOが日本でもスタートしたので、クリニックに着いてからアプリを起こした。すると院長室にいるではありませんか、全国図鑑#001のフシギダネが。初めての捕獲はとても苦労しました。ポケモンGOというおあそび、動かない人にとっては、動く動機づけになりますが、今の所テレビで興奮したり、ハマったと騒いで人達の気持ちを理解できかねます。

image

参加者多数の歓送迎会

15日金曜日夜、3年8か月勤務した池田氏と交代する朝隈氏の歓送迎会があったわけだが、その参加者の多さには驚いた。これも池田氏にお世話になったと感じた人が多かったという理由であろう。彼はたくさんの贈呈品を受け取っていた。とても感動しているようだった。分厚い寄せ書きが注目だった。ちなみに私自身は寄せ書きはしないことにしているので書いていないが、この場を借りて、公私にわたり大変お世話になったことに対するお礼と今後の氏のご活躍を祈念します。

image

image

Vivid Village開発開始

吉野東ホームクリニックと仁田原ノ杜の裏にある広い土地を畑にすることを決めました。先日雑草を刈りましたから、次の工程は重機による土地改良と整地です。ここで、問題になるのは周囲の地主さんたちとの話し合いと合意です。何とか頑張りたいです。早ければ、秋に畑として利用できると思います。そうなれば、明輝会と明輝会の職員に畑を無料で貸し出す予定です。だんだんと、vivid villageと命名した意図に沿って来ました。喜びのスタートです。

image

人事考課

明輝会職員一人一人の人事考課票に目を通してサインをしました。いつも思うことですが、上司は部下をよく見て正しく評価しているということ。そのことを一人一人に丁寧に書き込んでいます。私はそれらを読んで、職員の顔がわからない場合は写真を出して確認しながら、考課票にサインしていくのです。

ソーセージと果実味のチーズを一緒にするなと子どもに言われた。20分で作った弁当だから文句云うなと言いながら自分で食べてみた。しかし、意味がわからない。自分はうまいと感じた。つまり、子どもたちのよく云うジェネレーションギャップかなあ。スクリーンショット 2016-06-29 21.25.29

施設とアルコール

先ほど4年近く在宅医療でみてきた神経難病の患者さんが病棟で息を引き取られた.病棟での臨終であったが,まるで在宅の看取りのようであった.幼いお孫さんが3人.まだ赤ちゃんのお孫さんもいた.ご本人の子の夫婦.高齢者の方々.皆さんに暖かく囲まれての旅立ちで,その最期の死の確認を主治医としてできたことは感激でした.ちょっと目頭が熱くなりました.この患者さんには,数か月前から胃瘻の話をしてきました.今回入院してからは,毎朝病室を訪れ,ときには是非胃瘻を造ってくださいとまで言った.しかし,造らないという意思が強い方だった.ここ一年るいそうが目立ってきた.神経難病の進行のため,嚥下障害が出てきたからだったが,栄養管理ができれば,まだまだ生きることができるはずだった.なぜ拒否するのか.たぶん自分の故郷から遠く離れた土地の老人ホームに住んでいることが生きる希望を失わせていると考えた.だから,主治医として,◯◯に帰ってきたらと提案していたわけですが,ちょうど2週間前に,子供の車に乗せられて久しぶりに故郷に帰り,大好きなビールをうれしそうに飲んだと家族から聞きました.あの世に旅立つ前の逸話のように聞こえますが,私はどうして老人ホームでビールを飲まなかったのだろうと思いました.きっとビールも飲めない環境に居たことも生きがいを失っていた理由かもしれないと思った.当法人の医院以外の,介護施設はアルコール禁止ではありません.人に迷惑をかけないのであれば,アルコールを飲んでもいいのです.実際,介護老人保健施設の廊下にはビールの自動販売機が置いてあります.大好きなアルコールを飲んで,楽しく食事ができて,栄養状態が良ければいいじゃないかというのが私の考えです.さて,この患者さんは誤嚥性肺炎を起こす前に,やっと胃瘻を造ることを承諾してくれたのですが,それから呼吸状態が急速に悪化して鬼籍に入られました.

あらかぶ料理

先日、当院の運転手さんからあらかぶ6匹をいただき、翌日に調理しました。錦江湾で80匹の釣果だったそうです。童心になって楽しかったそうです。うらやましい。では、そのあらかぶの写真をアップしますが、かなりグロテスクです。6匹が凍ってくっついています。内臓を取り出しとウロコ落としはすでに済ませてありましたので、すぐにあらかぶ味噌汁用と煮付け用に分けて、手早く作りました。約1時間。家族からの評価は味噌汁はおいしい、煮付けは少し甘みが足りなくてまあまあというものでした。砂糖を大さじで4杯入れるべきところを砂糖ケースに入っていたスプーンで適当に入れたのが減点の原因でした。

スクリーンショット 2016-06-11 17.42.56