O先生を偲んで、その6

自宅庭の桜の木に花が咲き始めました。3分咲きくらいかなと思います。さて、O先生は、診断を告げられた翌日には治療方法を決め、3日後に鎖骨の近くに静脈ポートを作っています。静脈ポートとは、抗がん剤を点滴するためのものです。治療方法は2つを勧められ、副作用は強いが、効果が期待される方をO先生は迷わず選択しました。つまり、FOLFIRINOX療法(イリノテカン、オキサリプラチン、フルオロフラシル、レボホリナートカルシウム併用療法)を選択しました。それからがんとの壮絶な闘いが続くのです。to be continued
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明輝会の入社式

入社式対象者8名。その平均年齢19.6歳。理事長として新型コロナウイルス感染症に対する各国の対応の違いから見えてくる国のあり方、医療関係者の壮絶な働きぶりを話して、新人として明輝会の職場で頑張る皆さんにエールを送りました。今日の入社式の法人からの参加者は、私のほかに常務理事、事務局長、人事統括部長だけと、感染対策をしました。
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O先生を偲んで(その5)

O先生は腰痛と背中の痛みがいつまでも続き、鎮痛薬を飲んでも治らないことにおかしいと思い、痛みの原因を探っていきましたが、いっこうに異常が見つからなかったのです。整形外科疾患からくる痛みを想定して脊椎MRIを受けて異常なしの診断を受けていました。しかし、医師である妻の意見で調べた癌胎児性抗原CEAが異常に高い値であったことから、事態が深刻であるとわかったと述懐しています。それから総合病院でPET-CTを受け、膵臓がんステージIV bと診断され、愕然としています。と同時に、診断が出たからには治療を急がなければならないと強い気持ちにもなられています。 to be conntinued

O先生を偲んで(その4)

先週は私にとって悪夢のようでしたが、今日から体力気力ともに充実。これから時間を見つけてブログを書いていきます。
さて、O先生は2冊の本を書いておられました。本のサイズはA5版、タイトルは1冊目が「過去・現在・そして未来へ」、2冊めが「病者と医者 〜膵臓がんと向き合って〜」です。その1冊は直接手渡しでもらい、2冊めのは四十九日後、郵送でもらいました。偲んでシリーズは2冊めの本の内容を私のフィルターを通してからブログに書いています。
シリーズに入ります。その3では、膵臓がんになぜなってしまったのかというO先生の戸惑いと悔しさを書きました。本には、健診を怠っていたという深い反省と悔しさも書かれています。明輝会入職時しばらくは定期的な血液検査だけはしていたが、人間ドックのような総合的な検査はしなかったこと。そして、吉野東ホームクリニック院長になってからは血液検査すらしなかったことを本当に悔やんでおられます。最初の自覚症状が出たときに、自分でエコーをして、膵臓の尾部が少し腫れているようだと思っておられるが、膵管や脾静脈の異常がないから大丈夫と結論付けて終わったと書かれています。せめてCT撮影まで行っていれば、もう少し早く診断できて治療に結び付けられたのにと悔やまれます。 to be continued

近況

昨日は腹痛と吐気で一日中きつい思いをしながら、仕事をしました。外来診療はなんとかできましたが、訪問診療18件をするのは体力的にきついし、時間的には無理があったので昼休みを返上して頑張りました。こんな事情もあって、よく訊かれるシリーズものの「O先生を偲んで」の連載を休んでいました。

O先生を偲んで(その3)

なんで自分がこんな病気になってしまったのだろうと、O先生は動揺されている。それはそうだろう。仕事一筋で酒や煙草もせず、太ってもいなくて、生活習慣病もない。こんな理想的なO先生が50代で膵臓癌になってしまうなんて、僕も信じられない。かなり確率の低い遺伝子エラーが起こったのだ。今の臨床の現場では、膵臓癌が多いという印象がある。個人的には高脂肪食の影響と思っているが、一方、膵臓癌のリスクとして、膵臓癌の家族歴、膵嚢胞性疾患、糖尿病、慢性膵炎、肥満、喫煙、大量飲酒が知られている。

O先生を偲んで(その2)

僕がO先生に院長になってもらうことを依頼して、快諾いただいた頃は有頂天だった。それから日が経ち一周年パーティーでもと思っている頃に、O先生夫妻と3人でドルフィンポートのとある店で話し合ったのだ。大変な病気になったという告白であったが、化学療法をしながら診療を続けるという決意だった。僕は、「治療を頑張ってください。体調が悪い時は無理しないで休んでください。」と言った。この時のことをO先生の自分史には『慌ただしい運命の1日が終わった』と記されている。

O先生を偲んで(その1)

膵臓癌で亡くなられたO先生が書いた自分史続編が送られてきた。感動しながら、時には涙をながして、一気に数時間で読み終えた。
自分史を書いた目的は「膵臓癌の患者さんや膵臓癌の治療にあたる医師の参考になれば」という。ということで、これから亡きO先生の代わりに内容を少しずつ公開したい。また私がこのような考えになったのは、この自分史を配本した人数は10人にも満たないと聞いたからだ。

誕生日

私の誕生日ではなく、週の後半の診療をお手伝いいただいている先生の誕生日がもうすぐなので、先生に花束,メッセージカード,ケーキを職員全員の気持ちとともに差し上げました。先生は90才になられますが、まだまだお元気。クリニックまで1人で運転して来られますし、訪問診療にも毎日5件前後行ってもらっています。法人の新年会で申したのですが、私も先生を目標に後期高齢者になっても医師としてがんばるつもりです。

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