90才になる外来患者さんとお話をしました。ずっと診ている女性で、少々腰が曲がっていますが、かくしゃくたる人です。自ら自動車を運転して来院します。何時に寝て、何時に起きるのかを尋ねてみました。意外なな答えでした。深夜12時過ぎに床につくとのこと。とにかく忙しい生活でした。夕食を済ませ、夕食の皿洗いを終え、お風呂に入ってから、見たいテレビ、読みたい雑誌を読んでいるうちに12時ぐらいになるそうです。朝6時半か7時に起きて1日が始まるそうです。昼寝を1時間。実に理想的な生活リズム。ちなみに私は11時半ごろ寝て、5時半に起きています。昼寝は10分。90才のおばあちゃんに負けました。
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緩和ケア研修
きのう、きょうの2日間みっちり勉強しました。場所は鹿児島市立病院多目的ホール。きのうは午後1時半から夜8時まで、続いて懇親会が11時まで。今朝は8時半から夕方5時半まで。居眠りなんかできません。随時マイクを向けられて意見を言わされます。ロールプレイもありました。医師役、患者役など、どれもやりました。私は臨床経験年数の長い方からベスト5に入っていました。そんなに年なのかと思いましたが、新しい考えや普段あまり意識しない患者を演じて、そのことはとても有意義でした。しかし、この研修をもう一度味わいたいとは思いませんが。ラストのレクチャーは小児科の先生からでした。非常に共感しましたし、気持ちが31年前にタイムスリップしました。今は内科医で日々臨床に当っていますが、当時、私は小児科医になるはずでした。しかし、カルシウムの動態に興味を持っていた私は小児科ではあまり勉強できないと知り、腎臓内科のある当時の第二内科に入局することにしました。そういいながら、血液透析はイヤで、結局代謝の勉強ができる肝臓グループに入りましたけど。小児科にはとても辛いドラマがあります。今は大学病院で年間10件以下になったそうです。急性リンパ性白血病の治療成績が90%と高くなったからです。当時、小児科のポリクリのときの知り合った小学5年生の男の子は1週間後天国に行ってしまった。朝会いに行ったら、ベッドが空いていたのです。この出来事は私にとって強烈でした。
おはら祭前夜祭参加
明輝会コンペ
物語、ナラティブ、Narrative
昨日の午後、こんなにも時間を追って物事が推移するのかと思いました。昼休みに会議があり、終わってからそのまま近くの整形外科を受診しました。最近股関節痛が続いていたので予約していたのです。診察が終わり、クリニックに帰って院長室でくつろいでいると、病棟看護師が慌てて私を呼びに来ました。入院患者さんの容態が急におかしくなったということです。CO2ナルコーシスでもうすぐ呼吸停止しそうでしたから、すぐに補助呼吸を始めました。同時に人工呼吸器のメーカーに補助呼吸器を依頼し、それから約2時間アンビューバッグを押し続けました。実際は私が前半の1時間を、後半を看護師がしたのですが。1時間もボッグを押していると、手袋の中が汗でびっしょりになって手袋が抜けそうになります。これを以って交代したわけですが、代わると効率が良いため患者さんの血中酸素濃度が一気に5%程度上がりました。メーカーが人工補助呼吸器を取り付け、呼吸状態が安定したところで、家族に経緯の説明をしていると、今度は癌終末期にあった在宅患者さんの呼吸が止まったようだと連絡が入り、看取りに出かけました。約5年間診てきた患者さん。在宅関連の学会では患者さんの物語というキーワードが聞かれますが、家族にとっての物語、介護者との物語、医療関係者との物語があるのでしょう。夜は、糖尿病医療連携を進める会に参加するためタクシーに乗り込みました。
おはら祭が近づいてきた
在宅医療と食
大分に到着
はるばる鹿児島市吉野町から大分市まで東九州自動車道を平均80km/時のスピードで移動しました。工事中のところはありませんでしたが、途中無料道路になっているところがありました。そこにはパーキングエリアがなくため一度東九州自動車道を出てトイレ休憩しました。4時間ちょっとで着きましたが、運転手一人では単調すぎて疲れます。西都市を過ぎると、トンネルだらけです。雄大な景色を期待していたのに。ホテルに着くと、ペッパーちゃんが出迎えてくれました。これで癒やされました。やはり内村川上内科と吉野東ホームクリニックに1つずつ入れたいなと思いました。懇親会では訪問看護ステーションみなみ風管理者の田代さんと席がとなりでゆっくりと話しができました。田代さんと私は大学病院で、同時期近くの病棟で働いていたことがわかりました。
九州在宅医療推進フォーラム
鹿児島医療センター懇親会
昨日の夜は300数十名の参加した懇親会。医師だけでなくパラメディカルも多数参加。たぶん半半くらい。一連の挨拶がすんで乾杯が終わったと思いきや、大勢の人びとが各テーブルを回り始めました。みなさん、熱心に自己PR、自施設PRしていました。席がいつも循環器疾患で困ったらお願いする薗田先生のとなりだったので、良かったです。院長の花田先生はすごく頑張っていらしゃるなあと尊敬の念で挨拶を聞いていました。私が研修医1年目のときの大学病院の病棟医長でいらしたのが花田先生でした。この日一番よかった出来事は、鹿児島市立病院院長の坪内先生に私のもう一つの肩書である名刺を渡せたことです。株式会社キュアキュア顧問という肩書。帰宅してみると、名刺入れには12名分の名刺が入っていました。