26年間の外来診療

2026年3月25日、2000年6月から続けてきた外来診療を終える日になった。26年の間にクリニック名は『内村内科』『内村川上内科』『明輝会クリニック』と変わった。26年前に二代目院長として仕事を始めた頃は、病院勤務医から町の開業医になって、右も左もわからない毎日だった。病院の診療報酬と診療所のそれがちょっと違うことをしばらく経ってから知った。
生意気な40歳そこそこの二代目院長は『内村内科』の外来診療をしながら腹部エコーや胃カメラ検査をしていたのはまだ良しとしても、胃ろう造設や肝細胞癌に対する経皮的エタノール注入療法までしていた。外来看護師さんは3、4人しかいなかったと記憶しているが、勝手気ままな院長のする無茶なことに文句も言わずに協力してくれて感謝しかない。
『内村内科』の外来患者さんのご家族から電話で長々ときつく怒られたことがある。この患者さんは日置郡吹上町からバスを三台以上、時間にして2時間以上かけて来られていた。先代の院長、内村隼人先生に大学病院で大変お世話になったから通院していることがわかった。院長交代で内村先生の診察はないので、同意を得て吹上町にある自宅近くの先生に紹介したことが家族の逆鱗に触れた。良かれと思ったことが逆の結果になった苦い思い出である。
2007年、診療所の建物が新しくなって外来患者が増えた。診療所名が『内村川上内科』になった頃である。電子カルテを導入したものの使いこなせていなかったが、楽しかった。
この頃から通院を続けている患者はまだおられるが、在宅医療になった患者が多いと思う。もちろん鬼籍に入った人もおられる。
外来診療、入院診療、在宅診療の3つを一人でしていることに限界を感じた頃でもあった。三晩連日深夜に受診した気管支喘息の患者さんを体力の限界を理由に他病院に紹介したことで患者さんを怒らせたことを思い出した。二度とここには来ないと大声で電話越しに言われたが、アドレナリンが出過ぎたためか喘息の息遣いでなかった。
まもなく齋藤俊先生が就職してくれて、診療全体に余裕が生まれた。充実した診療ができるようなったためか外来患者数もさらに増えた。
コロナ禍が始まる前、診療所名を再び改め『明輝会クリニック』になった。院長を齋藤俊先生に譲り、自分は吉野東ホームクリニック院長になったが、『明輝会クリニック』の外来診療を週1日だけ続けた。吉野東ホームクリニックの休診日を『明輝会クリニック』の外来診療に当てたのである。この日は楽しかった。見慣れた患者さんに月に1回会うことがただ楽しいし、長く勤めてくれている看護師、事務員と話すのももっと楽しい。
2026年になって楽しいはずの『明輝会クリニック』の外来診療がときどき辛くなってきた。3月いっぱいで外来診療をやめるという告知を始めたからだ。本当は続けたいのだが、吉野東ホームクリニックの水曜日の休診日を返上することになり、院長という管理者は自院をそっちのけに働けないのだ。
3月25日がとうとう来た。自分としてはかなり緊張して外来診察室に入った。その証拠に携帯電話を忘れてしまった。記録を残すことができなかった。しかし、『明輝会クリニック』の外来診療の最後の患者さんの仕事内容は胃カメラであったことは印象的だった。10年以上通院してくれた患者さんだった。

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