昨日までは秋らしくない日々。妙に暖かいから、半袖に長袖の白衣を着て仕事をすると丁度良いと在宅新聞に書いたばかりでした。しかし、今日から一気に寒くなりました。そのためか午前の外来患者さんの数がすこし少なかったです。しかし、楽ではなかった。なぜなら今日の新患さんは痛みを訴える方が多かった。痛みの原因を見つけなければいけないわけですが、それが単純でなかった。お願いしてCTまで撮らせていただいた患者さんもいました。それでもわからない。だけど患者さんは確かに痛がっている。つくづく臨床力のなさをツウカンしました。
責任を持てる限界
一昨日、今日は日直。もちろんその間の夜は当直。訪問診療を合わせて10件程度しただけで大したことはなかったのですが、在宅医療で多くの患者さんを診ていくマンパワーの維持が大変であることを改めて感じました。医師、看護師の数が十分であることは必要条件ですが、患者さんの数は増減するし、重症化した患者さんやいろんな意味で手のかかる患者さんが増えるとマンパワーが不足する。適切な医師、看護師の数を定義することは難しい。一人の医師が責任を持って診ていける患者さんは100名程度と思っています。それならば看護師はどうなのだろう。看護師はたぶん全員のことを知らないといけないと思う。しかし、深く知らなくていいのではないかと思う。必要なことはカルテを見たり、キュアキュアネットの情報を閲覧して、支える医療を実践することは可能ではないか。こんなことを、ふと、二日間自分の担当以外の患者さんを診察しながら考えました。
5人の歓迎会
かくしゃくたる人
緩和ケア研修
きのう、きょうの2日間みっちり勉強しました。場所は鹿児島市立病院多目的ホール。きのうは午後1時半から夜8時まで、続いて懇親会が11時まで。今朝は8時半から夕方5時半まで。居眠りなんかできません。随時マイクを向けられて意見を言わされます。ロールプレイもありました。医師役、患者役など、どれもやりました。私は臨床経験年数の長い方からベスト5に入っていました。そんなに年なのかと思いましたが、新しい考えや普段あまり意識しない患者を演じて、そのことはとても有意義でした。しかし、この研修をもう一度味わいたいとは思いませんが。ラストのレクチャーは小児科の先生からでした。非常に共感しましたし、気持ちが31年前にタイムスリップしました。今は内科医で日々臨床に当っていますが、当時、私は小児科医になるはずでした。しかし、カルシウムの動態に興味を持っていた私は小児科ではあまり勉強できないと知り、腎臓内科のある当時の第二内科に入局することにしました。そういいながら、血液透析はイヤで、結局代謝の勉強ができる肝臓グループに入りましたけど。小児科にはとても辛いドラマがあります。今は大学病院で年間10件以下になったそうです。急性リンパ性白血病の治療成績が90%と高くなったからです。当時、小児科のポリクリのときの知り合った小学5年生の男の子は1週間後天国に行ってしまった。朝会いに行ったら、ベッドが空いていたのです。この出来事は私にとって強烈でした。
おはら祭前夜祭参加
明輝会コンペ
物語、ナラティブ、Narrative
昨日の午後、こんなにも時間を追って物事が推移するのかと思いました。昼休みに会議があり、終わってからそのまま近くの整形外科を受診しました。最近股関節痛が続いていたので予約していたのです。診察が終わり、クリニックに帰って院長室でくつろいでいると、病棟看護師が慌てて私を呼びに来ました。入院患者さんの容態が急におかしくなったということです。CO2ナルコーシスでもうすぐ呼吸停止しそうでしたから、すぐに補助呼吸を始めました。同時に人工呼吸器のメーカーに補助呼吸器を依頼し、それから約2時間アンビューバッグを押し続けました。実際は私が前半の1時間を、後半を看護師がしたのですが。1時間もボッグを押していると、手袋の中が汗でびっしょりになって手袋が抜けそうになります。これを以って交代したわけですが、代わると効率が良いため患者さんの血中酸素濃度が一気に5%程度上がりました。メーカーが人工補助呼吸器を取り付け、呼吸状態が安定したところで、家族に経緯の説明をしていると、今度は癌終末期にあった在宅患者さんの呼吸が止まったようだと連絡が入り、看取りに出かけました。約5年間診てきた患者さん。在宅関連の学会では患者さんの物語というキーワードが聞かれますが、家族にとっての物語、介護者との物語、医療関係者との物語があるのでしょう。夜は、糖尿病医療連携を進める会に参加するためタクシーに乗り込みました。