僕がO先生に院長になってもらうことを依頼して、快諾いただいた頃は有頂天だった。それから日が経ち一周年パーティーでもと思っている頃に、O先生夫妻と3人でドルフィンポートのとある店で話し合ったのだ。大変な病気になったという告白であったが、化学療法をしながら診療を続けるという決意だった。僕は、「治療を頑張ってください。体調が悪い時は無理しないで休んでください。」と言った。この時のことをO先生の自分史には『慌ただしい運命の1日が終わった』と記されている。
O先生を偲んで(その2)
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